|
| 2006年9月30日(土) |
| アボジよさようなら |
とにかく痛快なおやじだった。
わたしの家の坂を下った真下に小川が流れているが、その川辺にせり出すような粗末な家に住んでいた。
わたしが小学校の2年になるときに一家で移り住んできた。わたしより2歳上の娘がいた。えいこさんといって活発なお姉さんだった。妻は日本人だがこんなに在日コリアンと融けこんだ大恋愛の日本人は知らない。
山の木を買って、切り倒して材木市場に出して仲買をする。「山の神さんが放さなかった」とアボジ(おやじ)はわたしに語った。馬を飼って、山で木を運搬させたりしていた。
ずいぶんとお世話になった。妻の選挙のときは選挙権もないのに村の要人のところを回って応援してくれた。わたしが失業した時、仲間の在日コリアンのところで職を見つけてくれた。「あのとき職を見つけてやらなかったら、おまえは破産だった」とアボジはわたしをわらった。
若いときは血気盛んで焼酎を飲み。街で飲んだくれて、気に食わない男を殴り倒して留置場に一週間いたということもあった。
キノコのことを教えてくれたり、シイタケ栽培の手ほどきをしてくれたり、街の野菜市場のことを教えてくれたり。楽しかったなあ。
焼酎とたばこ(ピース)が好きで、パチンコもやった。家の一軒や二軒建てるぐらいは焼酎代に消えた、とわたしに語った。自家製のキムチやスジ肉の煮込み汁を食べさせてくれた。うまかった。
孫もいて、孫をふたり学校に行くまで育てたりした。孫にウサギの糞は薬になると言って炒って食べさせたり、川原で石を打ちつけて火を起こす方法を教えてやったりした。
魚釣りも好きだった。妻の選挙で敗北して落胆していたわたしに釣りを教えた。「岩さん」とアボジとわたしと三人で釣りに興じた。
今朝、新聞配達をしていたら別に移り住んだ家に張り紙がしてあったので訃報を知った。すぐに包みを持って慰問した。葬式には行かなかった。
晩年は脳を傷めて認知症になり、娘のことだけはわかるが、わたしが病院に訪れても「おまえは、憐れなやつだなあ」という目でわたしのことを呆然と見つめるのだった。妻と長娘に看取られての最期だった。
いまごろ火葬場で焼かれて骨になっているだろう。一生貧乏暮らしだったが、アボジの骨はまっすぐなその心魂のように白くカラっと乾いているだろう。
「岩さん」の時と違って、50歳に近いわたしはアボジの死を哀しみもなく明るく受け止めるのだった。
娘のえいこさんに勧められるままわたしは、コップ一杯の焼酎を注いで小さな祭壇に捧げた。
|
|