      |
| 2006年10月16日(月) |
「美しい国」はそこにある
---北の共和国の風景(あるMixi日記から)
|
北の共和国(朝鮮)の姿を伝えるあるコリアンの書かれた最新の訪朝記です。落ち着いた丁寧な文体に感銘を受けたので紹介します。(転載は了解を得ています)
***********
1 プロローグ
2006年10月7日、私は初訪朝で平壌の空港に立った。現在10月12日、瀋陽のホテルでこれを書いている。10月8日に共和国で核実験が行われたことを耳にしたが、またぞろさぞ日本では蜂の巣をつついたような騒ぎになっているだろうと、訪朝した日本の友人たちと平壌で話した。私たちが「歴史的な日」と意識したのに反し、少なくとも共和国ではまったくそれがあたりまえで日常のまるでほんのささいなひとコマにすぎないといったように映るのは意外でさえあった。
2 訪朝の契機
この度の初訪朝は私に様々なことを考えさせてくれた。昨年、初訪韓の墓参で親族と対面して以来、共和国は私にとってはなんとしても一度は行かねばならない地となった。日本で生まれ育った在日朝鮮人として、南北ともに朝鮮半島は私にとっては「遠い地」であった。若い頃から他の諸外国を旅してきたことに比べ、朝鮮半島だけには足を踏み入れるにはためらいがあった。なぜなら朝鮮半島は統一されてから行く場所だと自分史においては位置づけしていたからだ。訪韓や訪朝の誘惑を横目に、その思いが長期化すればするほど、けっこう私は頑なになっていった。結局は「母の高齢化」を口実に訪韓した昨年から訪朝は必然的なものとなった。ちなみに瀋陽でこれを書いている本日が私の誕生日である。朝鮮半島に行くまでに46〜7年間、時間を要したことになる。朝鮮半島の地に立つということは、私にとって訪韓時と同様に、改めて自分自身と向きあうということを意味している。なぜなら取りも直さず朝鮮半島は、それが如何なる内容であれ、まぎれもなく自分の中の一部に他ならないからである。
3 共和国風景考
さて、平壌の空港に到着した直後から、共和国の次々に展開されていく風景を目にして、強烈な違和感が突き刺さるように自分の中に押し寄せてくる体験をした。初めて「異国の地」に立った時に目にする風景であるはずなのに、同時に初めて見る風景に強烈な違和感を覚え続けたのだ。―――朝鮮民主主義人民共和国。私は略称として「共和国」と記述するが、日本では「北朝鮮」と呼称されるのが一般的になっている。この国は周知のように日本においては毎日報道されている“馴染み深い”国である。そしてときに同胞同士が集まると“議論の的”にもなる国である。さらには亡くなった父がかつて“あこがれた”国でもあった。私の意識に沈殿していたそういった諸々の要素が、共和国の風景を目にすると、突き刺さるように、あるいは吹き出されるように押し寄せて来るのだった。眼前に広がっていく風景は、寡黙にしてあまりにも雄弁であった。話だけではわからない。読むだけでもわからない。映像や写真だけでは決してわからない。風景を見ながら平壌市内へとまっすぐに続く道を走るバスの窓からは、稲刈りの匂いを孕んだ風が流れて来る。共和国では収穫の秋を向かえていた。
日本においては他の国々について数多く出版されている類の紀行文が、共和国に対しては存在しないことを私は思い知った。個々の旅人達が通り過ぎていく地域について勝手気ままに綴るような紀行文を私は見たことがない。もし仮にあったとしても“いずれかの思い入れ”に埋没しているのであろう。単なる一人の旅人としての視点で、共和国の風景を伝えることができるのは、おそらく共和国に“何の思い入れ”もない国の人々にちがいない。少なくとも共和国に対して、日本人、在日朝鮮人、韓国人は、旅人としての紀行文を書くことができないであろうと私は思う。例えば喧騒のカルカッタでは道を闊歩する牛が落とした糞を、スニーカーでもろに踏んづけてしまい困惑してたら周りのインド人に笑われたとか、ノルウェーのカフェでエビを注文したら5人分はあろうかというテンコ盛りの量に驚くが、現地の人々がそれを苦もなくたいらげるのを見て、彼らの胃袋はどうなっていやがるんだと思ったとか…、共和国を対象としたそんな類の紀行文が、少なくとも日本においては許されない「思い入れ」がある。
日本における「思い入れ」とは、共和国に対して毎日報道されることで、刷り込まれてしまった偏見に満ちた先入観のことだ。当然のことながら平壌では、日本で放映されている姿に、常に伴うおどろおどろしたBGMが流れているわけでもなければ、かなきり声で叫びながら軍隊が行進しているわけでもない。そこには他の国々と等しく、日本とは異なった、ごく「普通」の、人々が暮らす風景があるばかりである。その風景を見て、ある日本人画家が、「共和国は花がたくさんあって、子どもと高齢者を大切にする国である」と評したというが、すでに日本ではそのような評価が通用しなくなって久しい状況にある。確かに理路整然とした街並みや道路には、木々の間にどこまで行っても種類が異なるたくさんの花が風に揺れていたし、夫婦がはしゃいでいる子どもを両側から手をつないで歩いている姿を多く見かけた。あるいは山間部の道沿いにはカップルと思いきや、近づいてみると老いた母とその息子が二人でたたずんでいる姿もめずらしくはなかった。親子が遠目にはまるでカップルのようにたたずんでいるそういった風景は、日本ではほとんど見かけることができない風景でもある。
4 「地上の楽園」考
私は共和国の風景を見ながら、「地上の楽園」説がどこからやってきたのかについて自分なりに思い至った。それは平壌市内にある巨大なモニュメントを含めた街並みだけではない。農村部の田畑や山間部の集落も含めて、共和国は自然と調和していながら理路整然とした風景がどこまでもひろがっていた。例えばそれはヨーロッパの都市計画に近い。ヨーロッパの住宅街では美観を損なうようなビルをむやみやたらと建てはしない。おおむね一番高い建物が教会だという相場になっている。またヨーロッパのでかい公園は美観が緻密に計算されているとも云う。比べると、共和国では都市部、農村部、山間部といった驚くほど広範な地域わたって、何を何処につくるのがベターかという全域的な視点から緻密に計算されていると思われる。そうでないとあの風景は出現しない。私は率直にその風景を美しいと感じた。
だがそこに疑惑がなかったわけではない。ゴミがないのだ。人が住む所にはゴミがあって然りだ。ゴミひとつ落ちていない共和国はあまりにも不自然ではあるまいか?世界中の何処へ行っても人間が暮らしている限り、ゴミがあるのが自然だ。私のそういった疑惑は数日を共和国で暮らしただけで氷解した。単純なことであった。共和国でも人々は道路や広場にゴミを捨てるのだ。タバコのポイ捨てなんぞはしょっちゅう見かけたものだ。しかしゴミがない。何故か?ゴミはなくなってしまうのだった。なぜなら人々がしょっちゅう掃除をするからに他ならない。つまり捨てるゴミの量よりも、掃除する頻度がそれを上回るという現実によるものであった。それは国民性―――いや、共和国の人民性における特徴のひとつと云っても過言ではないと思われる。ゴミがないのは決して特別な場所だけではないのだ。したがって共和国ではゴミが落ちている場面を見ることができるのは、それが掃除されるまでというきわめて短時間に限られてしまうわけである。屋敷のようなりっぱな家であっても、家の中がぐちゃぐちゃになっている家を何度か体験したことがある。対して、小さな家であっても生理整頓が行き届いた家も体験した。自分の無精を棚上げして言うならば、後者のほうが居心地が良い。つまり共和国の風景における美しさというのは清楚な美しさなのだ。その理路整然とした美しさは、写真や映像では関知できない。写真や映像はピンポイントだけしか伝えない。まるでそれは文脈の一部だけを切り取ってしまうようなものだ。全体の風景を関知しようとすれば、その地に立って、風に揺れる木々や川のさざ波に照らされた光を視野におきながら眺めてみるかしか、あの風景を関知することは不可能だと思われた。それほど広範にわたる理路整然とした風景が共和国の風景であった。
風景は寡黙にして雄弁であると前述したが、そこに暮らす人々の人間性を風景は示している。50年代、60年代、そして70年代と「地上の楽園」と称して「帰国」した人々に対しては、現在でも日本における差別の反作用だったとかたずけられることが多い。しかしそれだけでは「楽園」という文言は出てこない。そこには根本的に共和国の魅力が欠落している。私は共和国に行って確認できた。かつての「帰国者」達が何の魅力もなく、ただ追い立てられる者のように共和国に渡ったというわけではないということを。
(つづく)
2006年10月12日、瀋陽に於いて
|
|