自動車産業関連の本の紹介(1998年)


『トヨタ製品開発を支える組織能力』 デューワード・K・ソベックU他著
ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス1999年1月号 2630円+税


1980年初めの米国車に対する日本車の優位性の研究は、生産性・品質の分野で行われてきた。この研究でTQC、ジャストインタイム方式、提案制度などが明らかになった。
1980年代終りから90年代初めにかけて、米国自動車メーカーは生産性・品質についてキャッチアップしてきた。そこで研究の中心テーマはコンカレント・エンジニアリングやチーフ・エンジニアなどの自動車低開発費競争に移った。と同時に、日本の自動車メーカーの間にも競争優位の差があることが明らかになってきた。
その競争優位は、製品設計と製造工程設計の統合、そして製品設計とマーケッティング、調達、財務などの機能部分との統合にあるとの結論に達した。
アメリカ企業ではその競争優位を源泉となる製品開発を支える組織能力が高原状態に達していることを感じている。また、その効果そのものが、日本企業の水準に達していないことがわかった。本稿は、トヨタ自動車の製品開発を支える組織能力についての研究である。、

トヨタ自動車の経営慣行を6つの組織メカニズムに分類している。
  1. 相互調整
  2. 密接な指導
  3. 製品責任者による統合的なリーダーシップ
  4. 標準技能
  5. 標準化された作業工程
  6. 設計基準
前3つが社会的プロセス、後3つが標準化の様式である。
これらメカニズムは、それぞれ単独ではほとんど効果を発揮しないが、全ての部分がそれ自体の役割を持ちながら、同時に相互に補強し合っている。 これらメカニズムが一体化されて、トヨタ自動車の緊密にリンクされた製品開発システムが実現されている。
アメリカ企業はプロジェクトチームを主とする方法をとってきた。この場合、各プロジェクト間で情報の共有が損なわれる危険がある。
一方、トヨタ自動車は基本的な機能別組織には手をつけず、プロジェクトチームに配置する形を取っている。非常にフォーマルに定められた規則や基準を遵守するとともに、プロジェクトチームの利用に一定の制限を設けている。このような固定的な政策はきわめて大きな欠陥を併せ持つ危険性がある。 トヨタ自動車はこの欠陥を回避するため、多数の『ひねり』(twist)を加えることにより、プロジェクトに必要な柔軟性を確保し、かつ他のプロジェクトが学習としたものを活用できるようにしている。

『ひねり』のひとつが「チムニー効果」をさける幹部の異動である。狭い範囲で異動させ、その所属機能の専門的経験を積ませ、部門間に硬直した境界、いわゆる"チムニー(chimney:岩壁の裂け目)"を作り出し、その中で専門的知識を蓄積させている。 いわゆるチムニー効果は、経験のあるエンジニアや経営幹部が機能ベースの組織の中での彼らの力の源泉である、自分達の知識を抱え込んでしまっているために生じている。
トヨタではこうした政治的な対立を避けるため、大部分の上級管理職を広い範囲で異動させている。

これらによって一方で機能横断的な調整を達成しつつ、他方では機能別組織内の専門的経験の蓄積も可能としている。このバランスによって、同社のプロジェクト相互の統合を実現でき、プロジェクト内部での統合をも達成しているのである。


『ベンツの興亡』 山本武信著
東洋経済新報社 1998年11月20日 1800円+税


1998年5月に青天の霹靂のようにクライスラー社と合併したダイムラー・ベンツ社の興亡の歴史と、グローバル化時代における自動車会社の再編成について書かれた本である。

カール・ベンツ氏とゴットリープ・ダイムラー氏は、1886年に別々に世界で始めて自動車を発明したと言われている。両氏は別々に自動車会社を起こし、繁栄していった。
第一次世界大戦(1914〜1918)にも無傷で残った。しかし、この戦争後の後遺症による経済危機により、車の販売の落ち込みは深刻になっていった。このような状況の中、この両者は1924年に提携し、2年後には合併してダイムラー・ベンツ社が誕生した。
1930年代の世界恐慌の中、ダイムラー・ベンツ社はヒトラーの直接・間接の支援を受けて新たな繁栄期を迎えた。そのため第二次世界大戦(1939~1945)年では、空爆によって各工場とも壊滅的な被害を受けた。
戦後、戦勝国側からドイツを農業国にしようという構想が流れた。これに触発されて、奮起したベンツマン達は1947年から170V型乗用車の生産を再開した。

ベンツ社のボンネットについている丸い星マーク(Stern)は『陸、海、空』を表している。この『陸、海、空』という命題を実現させるかのように、1984年に航空・宇宙部門に参入して一大コンチェルンを設立する計画を発表した。その後、航空会社メッサーシュミット等を買収していった。 三菱グループ4社との共同事業のニュースが流れたのはこの頃であった。
ベルリンの壁の崩壊による冷戦の終結により、この一大コンチェルンの構想に誤算が生じた。1992年が大きな曲がり角になり、その後ダイムラー・ベンツ社は変調をきたしていった。1995年には57億マルク(4600億円)の赤字を計上してしまった。その後、買収した会社の売却が始まり、自動車部門への回帰が始まった。

高級大型車一辺倒の時代は終わったとして、ミニベンツ『Aクラス』と『スマート』の開発を進めていった。1997年10月にこのミニベンツの『Aクラス』が、クルマの走行安定性を調べるエルヒテストで転んだ。 さらに、スイスの時計メーカーと合弁で開発した『スマート』もエルヒテストで良い結果が得られず、発売を延期した。 安全を売り物にしたベンツ社が、安全問題で転んだのである。

1998年5月6日、ウォールストリート・ジャーナルが『ダイムラー・ベンツ社がクライスラー社と買収・合併交渉を進めている』と報じた。その翌日、この2社はロンドンで合併を発表した。1997年秋に、フォード社との合併を模索していた。この交渉が決別し、クライスラーとの交渉となった。 1998年1月、ダイムラー・ベンツのシュレンプ社長が、デトロイトのクライスラー社を訪れたことにより交渉が始まった。

この合併の発表の2日後、ドイツの『シュピーゲル』誌が『ダイムラーが日本の日産ディーゼル工業と提携・買収交渉を進めている』と伝えた。ダイムラー・ベンツ社は乗用車の他に大型トラック部門でも大きな事業を持っている。 今後成長が期待できるアジア市場、特に中国において進出に先行している日産ディーゼルを買収することによって、中国進出の時間を買う事を目的としている。

冷戦の終結によって地球は狭くなったと言われている。と同時にメガ・コンペチションと呼ばれるように競争が激化してきている。自動車業界とて例外ではない。このダイムラー・ベンツとクライスラーの合併は、自動車業界では始めての大きな企業同士の合併の始まりである。 宿敵VWの拡大政策に対抗するという意味もあっただろうが、自動車業界の世界的な再編成での始まりでもあった。21世紀は競争の時代であるとともに、協調の時代でもある。 これからの経営には、この合併にあったような俊敏(アジリティ)な経営が求められている。



『トヨタvsベンツ 世界自動車戦争の構図』 前間孝則著
講談社 1998年10月3日 2000円+税


高級車自動車メーカーのベンツとBMWが、Aクラス等の小型車開発やローバーの買収によって、 小型車市場への進出した。また、トヨタ自動車は“石橋を叩いて渡る”と言われた2番手戦略を、 社長交代もあって積極経営に転換した。 世界初の量産のハイブリッドカーのプリウスが良い例であろう。

これらの出来事は1990年代に入って、自動車産業が、そして自動車そのものが大きくカーブを切ろうとしている。 そればかりか、商品戦略、開発体制、生産体制、グローバル展開、環境対策および次世代技術の開発と、 質的に異なるさまざまな面において大きな変革が要求され、それも他社との競争において俊敏さが求められている。

その燃料電池を中心とした次世代技術開発を積極的行っている会社が、トヨタであり、ベンツである。 今後の自動車産業の競争は、この次世代技術を中心に行われると書いている。

「最初に発売したメーカーが燃料電池車の市場ルールを決定することになる。ベンツはどのメーカーよりも早く発売したい」
「次世代車の本命は燃料電池自動車だ。この開発にもトヨタは本腰を入れて開発に取組んでいる」 その他、第二次世界大戦後の自動車産業を安全と環境を通して解説している。


『トヨタの方式』 片山 修著 1998年10月1日
小学館文庫 619円+税



 トヨタの方式1 グローバルの巻  合言葉は“テンポ・アップ” 
 トヨタの方式2 生産の巻     さらに無駄をなくせ 
 トヨタの方式3 開発の巻     車の本質を見直せ 
 トヨタの方式4 組織の巻     変わらないことは悪いことだ 
 トヨタの方式5 情報化の巻    “モビリティ企業”に転身せよ 
 トヨタの方式6 環境の巻     先頭を走れ! 
 トヨタの方式7 マーケッティングの巻  私がトヨタを変える 
 トヨタの方式8 企業精神の巻   時流に先んずべし 

 トヨタ自動車は重厚長大のイメージがつきまとい、地味だ、主張がない、顔が見えないと言われてきた。 28人のトヨタ社員へのインタビューを通じ、8つのトヨタの方式に分解し、ブラックボックスの解明に挑んだ本である。

 奥田碩氏は、社長就任に際して当面の課題として3点をあげた。 「商品企画の遅れ」、「国内のシェア・ダウン」、そして「海外進出のテンポ・アップ」だ。 トヨタは、いまや、走り過ぎて橋から落ちるのではないかといわれるほど、「海外進出のテンポ・アップ」に挑戦している。 トヨタのすごみは、一度、こうと決定したからには、7万人のトヨタマンが愚直なまでに実行する、その貫徹する精神的強靭さにある。 世にいわれる三河の田舎侍の粘着性かもしれない。それが、トヨタの強さの1つといっていい。(19ページ)

 「われわれは、こちらにきて、車を運転して初めて、どういう車が必要なのかが、体感できるんですね。 あるいは、ヨーロッパでは、どういう車をつくらなきゃいかんというニーズがわかるんです」
 と、TMUK(トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ユナイテッド・キングダム)社長の水島敏夫氏はいうのだ。
 たとえば、英国の道路の表面は荒くて、必ずしも走りがスムーズではない。 だから、タイヤ音が結構気になるという。
 「自分で運転し、体験してみると、どういう品質の車が必要なのかということがよくわかってくる」(33〜34ページ)

 「トヨタ生産システムのいちばん大事なところは、トラブルなど問題が発生したとき、ラインを止めることです。 つまり、トラブルが目で見てすぐわかるようにするということです。 ところが、アメリカでは、ラインを止めると、レイオフされる、例外なくね。 向こうでは、働いている人にラインを止める権限を渡していない。 しかも、自己責任の国ですから、失敗すると、とことん追及されるわけです。 ラインを止めるような大失敗をしでかしたら、必ずレイオフされ、そうなっても文句がいえないんです。
      (中略)
 「何度いっても止めないんです。 それで、あのときは、工場の立ち上がりのときでしたから、日本人が60人くらいいましたが、一度、ラインに限らず、人事であろうと、購買であろうと問題点をすべて洗い出そうということにしたんです。 そうして、『バッド・ニュース・ファースト』でいこうと。それでも、ラインは止めないし、バッド・ニュースもいわない。 相互の研修会のとき、『おかしいじゃないか、どうしてあなたたちは、もっと勇気を持たないのか』といったわけですよ。 『あなたたちは、すぐ悪いことを隠す』というと、アメリカ人は真顔になって、『そういわれても、これまで悪いことはすべて自分の身に降りかかり、レイオフされた』とね。 『だから、ラインを止めろといっても、本能的なおそれがある。それは、簡単には変わらない。日本人はそこらあたりをちゃんとわからないといけない』と、アメリカ人はわりとまじめな顔をしていいましたから、これは相当なものだなあと思いました。(60〜62ページ)

 日本人はやり方で直そうとしますが、アメリカ人は、道具で直そうとするんです。(69ページ)

 主観でものをいわないことです。仕事が遅いねとか、魂が入っていないなどと、主観でいうのはよくない。 問題は、あなたの計画ではここまでやることになっているが、ここまでしかできていません、計画の遅れを挽回するため、新たな計画を立てる必要がありますね、といういい方をしなければいけない。(81〜82ページ)

 トヨタでも、バブル期に増強した国内外の設備過剰が経営にのしかかってきていた。 設備だけでなく、巨大化した組織も経営にはマイナスに働き始めていた。 とくに、経営陣は意思決定の遅さに危機感をつのらせていた。 些細なことを決定するにも、ピラミッド組織のいくつもの階層の1つひとつを突破しなければ何も決められなかったし、懸案事項を決定するにも、他の部署との折衝で半年や1年かかることはざらだった。 「多くの大企業がそうであったように、釣り鐘型の組織では、どうにもならないということがありました。 部長、副部長がいて、さらに次長、課長、課長補佐、係長と並んでいるような組織では、機動力を望むべくもない。 ましてや、新しい人も入ってこない。となると、どうなるか。 そこで、まず、組織のフラット化に取り組みました。(167〜168ページ)

 トヨタは、新たな人材育成の方向として、
  1. 組織の拡大を前提にした育成に替わる多様で高度な人材の計画的な育成、
  2. 年功的要素を後退させた成果主義の徹底、
  3. 新しい事業展開に対応できる多様な人材を確保し、社外でも活躍できる人材を育成・支援する労働力の流動化への前向きな対応
を打ち出した。(179ページ)

 人は何か不祥事があると、罰っせい、罰っせいというけれど、英二さんや章一郎さんは、いくら罰を厳しくしたって、いいモノにはならんよというんですね。 よい品質のモノをつくろうと思って、検査をどんどん厳しくしても、悪いものはみつかるかもしれないが、それでいいものができるかといったらそうではない。 百つくって検査ではねてはねて、99はねとばして1つだけものすごくいいモノが残りましたといったって、これではなんともならん。 それは間違っているというんです。
 そうではなくて、百つくって百いいモノが出るようにするためにどうしたらいいのかを考えなければならない。 つまるところ、いい品質のモノは、工程でつくり込んでいかなければならないというわけです。 倫理規定や社員の行動規範を設けて管理するというやり方もあるけれども、規則でしばってみたところで、品質はよくならんと。 同時に社員の教育も、その工程のなかで磨いていかなければならないわけで、規則でしばったところでいい人材は育たないよという考えなんです。(323〜324ページ)


『HONDA 21世紀への挑戦』 赤井邦彦著
三心堂出版社 1998年9月24日 1500円+税



 この本はホンダが1990年代初頭に販売台数の低下に見舞われ、この業績不振から『オデッセイ』等の新しいジャンルのRVを発売して立ち直り、21世紀に向けて挑戦を書いている。 この本の頭は本田宗一郎氏が本田技術研究所を創設し、ホンダ技研工業の成長について書いてある。

 1989年に入って、じわじわと国内販売が不振に陥ってきた。 1990年67万9千台、1991年66万4千台、1992年59万6千台と国内販売台数が減少していた。 そのうえホンダらしさがなくなったと言われ始め、減益に転じた。 川本社長はこのような1990年(平成2年)に社長に就任した。

川本社長がホンダがどうもおかしい、と気づいたのは80年代の後半であった。 社長になってから気づいたホンダの疲弊の原因は、技術と販売の隔離だった。 意思決定が複雑になり、閥までできていた。 研究開発の本田宗一郎派と営業の藤沢武夫派ができ、その間にはさまれた生産部門という3つの閥ができていた。 本田宗一郎氏藤沢武夫氏がいた頃には、アウンの呼吸でうまくいっていたが、ふたりがいなくなるとアウンが通じなく、にっちもさっちもいかなくなっていた。 川本社長はホンダの将来に大きな危機感を感じ取り、抜本的な組織の改革を行った。 社長に就くなり、派閥解消のため権限を社長に集中し、強引な社内改革を行っていった。 それは川本ヒットラーとあだ名されるほどであった。 「ワイガヤ」を廃止し、F1レースからも撤退した。 3チャネルあった販売チャネルの2チャネルへの統合も検討されたが、結局は現状の3チャネルで維持することに決定された。

 具体的な改革は次の2点であった。

『ミーイズムからユーイズム』へ
 それまでは、ホンダには良い製品を作れば売れる、という自己中心の理論があったが、それではユーザーは満足しなくなってきた。 川本社長は、自己満足なクルマよりお客さんが本当に欲しいクルマを作るように、研究所をはじめ本社にもハッパをかけたという。 これは製品造りを顧客指向に大きく転換させることを示している。

『コストの削減』
 コスト削減の主な方法は下記である。

 プラットホームは共通車台とも言われ、同じ程度の車のアンダーボディを共用化して、上のボディのデザインを変える手法である。
 部品の共用化は、新しいクルマを開発する時に、部品の設計を全部変更するのではなく、使える部品は今までの設計のままで使用しようというものである。 その時、コストは削減しても品質は落とさない、『他社の真似をしない』という気風がある。 そして、効果・効率を追求しても、ホンダのアイデンティティ、創造性は失うなという方針は固く守られた。

だがその一方で、技術者たちが新しいものを作りたいと訴える気持ちも見抜いて、1994年にオデッセイが誕生した。 ホンダは再び時代をリードする自動車メーカーとしての地位を確立し始めた。

川本社長はF1グランプリへの復帰と国内販売80万台を達成し、吉野氏に社長職を譲った。 表面には出ていない時点で、危機感を持って社内改革を行ったところに川本社長の判断力、行動力が証明された。
もうひとつはモータースポーツに見られるホンダ技研の企業風土である。 “モータースポーツはホンダの精神”というのは、創始者の本田宗一郎氏がレースが好きだっただけでない。 それは企業として出発間もない時期に会社の運命をかけてモータースポーツに挑戦し、その挑戦には社員のほとんど全員が関わって一体感を醸し出している。 そして、分を知るという事で、世界の大きさを知り、“井の中の蛙”にもならず、“茹で蛙”にもならない経営上のビルド・イン・スタビライザーが組み込まれている。 つまり、ホンダ技研という会社の知識資産の質の良さにも助けられたものと言える。
 また、オデッセイに続いてCR−V、ステップワゴン、SM−Xと続けてヒット商品を出したが、この中には川本社長がこれはどうかというものもあったが、最終的に若い人達の考えにまかせた。 これに似た話しにトヨタのビッツがある。豊田章一郎会長がビッツのスタイルを見て疑問を感じたが、最終的に開発部門に任せたというものである。 このように強引な改革をする反面、任せるところは任せた川本社長の判断の良さがホンダを復活させたものと考えられる。

基本理念
人間尊重
三つの喜び
  • 買う喜び
  • 売る喜び
  • 買う喜び


社是
わたしたちは世界的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす



『フォーディズム』(大量生産と20世紀の産業・文化) R.バチェラー著
 日本経済評論社 1998年6月5日 2800円+税


 この本は『デザインと物質文明に関する研究叢書』(Mass Production, Modernism and design)と題された8巻からなる叢書に収録された本であった。 20世紀の産業と文化の特徴が「マスプロダクション」と「デザイン」というキー・コンセプトを軸に描き出されている。
日本語では『デザイン』というとスタイリングを表す言葉であるが、英語本来は『設計』という意味合いが強い。 マスプロダクション、つまり大量生産は20世紀になってヘンリー・フォードが行った下記が契機となって普及したと言われている。

  1. 標準部品の使用
  2. コンベアーシステム

大量生産という言葉は、フォードが定義し、フォードが作った言葉であった。

 原著では題名はヘンリー・フォードとなっていて、フォーディムを研究した本とは少し趣旨がことなっている。 フォーディズムとは、ヘンリー・フォードが自動車工場にて行った労働者に対する管理哲学である。 フォーディズムは良くとられることも、悪く解釈されることもある。 科学的管理法の創始者と呼ばれているフレデリック・W・ティラーのティーラリズムや、トヨタ自動車のトヨティズムのような言葉がある。

 ヘンリー・フォードが開発したT型フォードは、1908年から1927年まで約1500万台を生産したという。 後にVWのピートルに抜かれたが、記録的な生産台数を達成した。 自動車の普及においては多大な貢献をしたT型フォードは、2台目以降のクルマでは消費者の嗜好をとらえることができなかった。 『工学的にみてT型車は17年前と事実上同じで、すぐれている。品質あるいは価格について批判すべきことはほとんどない。 しかし、他社の自動車は、工学の進歩動向にぴったりと歩調を合わせて性能を高めてきたし、価格の面でもT型車に比べてとくに高いというわけではない』 T型フォードは自動車の普及期において大きな貢献をした。 しかし、豊かな時代に、いくら価格を下げてもT型フォードは売れなくなり、人々は単なる輸送目的以上の、地位を誇示する自動車や、デザインを重視する自動車を選び出した。 また、GMは1923年にボディーのカラー塗装を導入したが、フォードは『黒塗りであれば、どんな色のT型車でもお求めになれます』であった。 同様にGMは割賦販売を導入したが、フォードはしなかった。 ヘンリー・フォードの自動車に対する考えが、GMの『すべての人の財布とすべての人の目的に合わせた車の提供』によって後塵を拝する結果になった。

GMではシボレーで1924年から新年になると新しい型のモデルが生産され、他の事業部にも拡大された。
 1935年にルーフにプレスが用いられ、2年後には全鋼鉄ボディが採用された。 この時からクルマのデザインは、板金プレス部品をデザイン(設計)するようになった。 ハーリー・アールが活躍したのも、このような時代であった。 それに伴って、デトロイトの自動車会社は、3年に1度新しいボディーを出しただけで、あとは照明やラジエターグリルを改造するだけであった。

 T型フォードの生産中止とともに、生産モデル転換に2億5000万ドルかかったといわれている。 この時、フォード式大量生産の時代は終わった。 ヨーロッパでは、『生産規模と製品の種類は、市場の需要の変化に即座に対応できなければならない』という考えが主流であった。 複数のモデルを生産していた。 フォード式の大量生産を行うのは、イギリスでフォードが行ったのみであった。 結果は、第二次世界大戦後にならなければ、フル稼動できなかった。

 この本を読んでふと思ったのは、豊田自動車の名誉会長の豊田英二氏が、戦後研修したのがフォード社のリバー・ルージュ工場であった。 ひょっとしたら、我々はアメリカの大量生産の自動車産業観は、フォード社の持っている大量生産であり、過大評価しているのかもしれない。


『自動車デザインの語るもの』 石渡 邦和著
NHKブックス(829) 1998年5月25日 1020円+税


いすゞ自動車で長年自動車デザインに従事し、イソップ物語の『北風と太陽』の話しが好きな著者の書いた本である。学生時代にイタリアの自動車デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏に合い、いすゞ自動車に自動車デザイナーとして就職し、一時期アメリカのウォーレンにあるGMテカニカルセンターに派遣されるという経験を持っている。
著者は自動車デザインの魅力について、
  1. 移動のための道具
  2. 人間の力に比べきわめて大きな力を有する機械
  3. 個人所有することが可能
  4. 大きなプロダクトであること
  5. 国際的に流通している商品
  6. 所有者の生き方の表現手段として使える道具
  7. 生活を豊かにしてくれる愛情表現の対象ともなること
と書いている。
さらに、著者にとって最大の魅力は、自動車が社会の、あるいは人々の生活に大きく役立っている商品であることとしている。また、故本田宗一郎氏の『女性は子どもを産めるけれども、男にはできないので私はモノを作った』という気持ちがわかるような気がするとも書いている。
自動車デザインに直接・間接的に大きな影響を与えるものとしてスマート・カーを挙げている。スイスのスウォッチで有名な時計メーカーのSMH社とダイムラー・ベンツ社が手を組んで開発した車である。このスマートは、わくわく楽しくなるようなデザインを通して、都市モビリティを変革しようとしているところにある。
スマートには、もう一つの提案としてモジュラー生産がある。スマートは35の部品モジュールで構成され、ひとつひとつのモジュールは工場内で部品メーカーが組み立てるのである。 この場合、部品会社の自立性と購買能力を十二分に活用して、車両の低コスト化にも貢献している。また、モジュール化は多品種少量生産にも向いている。
スマートのように、あえて部品メーカーに大きく依存するような自動車開発する背景には、強力なブランド力があり、そのブランド力を維持しうるだけのマーケッティング力があり、それをデザイン力が支えている、と著者は考えている。
自動車デザインの黎明期に活躍したGMのハーリ・アール氏と、最も多くの成功作を1人で世に送り出したジウジアーロ氏の業績を紹介し、自動車デザインのやり方についても紹介している。 最近ではコンピュータの三次元CADを使ったデザインが主流であるが、CADモデルでは良くても、クレイモデルにするとがっかりさせられた話しなど興味深い。



サプライヤー・システム 藤本隆宏・西口敏宏・伊藤英史編
有斐閣 1998年1月10日 4400円+税


サプライヤーとは一般的に特注部品の納入業者を示す。同じような言葉にベンダーという言葉がある。これは世間一般に流通している物品を購入する場合の購入先を示す場合に使われる。自動車部品業界ではサプライヤーというのが一般的である。

1980年代から90年代初めにかけて日本自動車産業の国際競争力の強さを示した時期であり、この競争力の強さの源泉のひとつとして、サプライヤーシステムの国際比較研究が大いに進んだ時代だったといえよう。 この本はこの時代のサプライヤー・システムについて、国際的に活躍している30〜40歳台の研究者の論文10編を集めたものである。 日本のサプライヤー・システムはアメリカのシステムと比べた場合、サプライヤーが比較的少数に絞り込まれているという特徴がある。

この本の"サプライヤー・システム"の名称の前にリーディングという副題が付いている。日本の進んだサプライヤー・システムの特徴を抽出している。

第一に日本のサプライヤーは多層という特徴がある。自動車メーカーに部品を納入する一次部品メーカー、この部品会社に子部品等を納める二次メーカー、三次メーカー、四次メーカーといった具合に多層的なピラミッド構造になっていることである。 この一次部品メーカーは、欧米部品メーカーに比べて会社規模が大きく、部品メーカーが比較的少数に絞り込まれている傾向がある。

第二の特徴として部品開発能力を持った会社が多いことである。自動車メーカーが供給する図面に従って外部のサプライヤが製造する部品の図面は貸与図(Drawings Supplied)と呼ばれている。サプライヤー自身が作成し自動車会社が承認する図面に従って生産する部品に大きくわけられる。 貸与図のサプライヤーは基本的に、取引される部品に関する製造能力だけを提供しているのに対して、承認図のサプライヤーは製品開発能力をも提供している。 承認図による部品をブラックボックス部品ともいう。日本ではこのブラックボックス部品が62%を占め、開発工数の約50%をサプライヤーが担っている。一方、米国では自動車メーカーが86%の開発工数を担い、貸与図部品が81%を占めている調査結果もある。

第三の特徴として、生産システムの密接な連携と継続的取引が挙げられる。ジャストインタイムやTQCを軸とするフレキシブルな生産同期化および継続的な品質改善・コスト低減のシステムであるという。 製品技術・生産技術両面で、部品メーカーに対してきめ細かい評価と技術的指導を行っている。日本の自動車メーカーは米国の企業よりも多くの時間を部品メーカーとの対面コミュニケーションに割く傾向があるという。このような長期安定的な取引関係がコスト低減や品質改善に役立つことが知られている。


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