自動車産業関連の本の紹介(2001年・V)


『トヨタとホンダ』 塚本 潔著 2001年12月20日
光文社新書(016) 700円+税


 第一章  ヴィッツとフィット 
 第二章  「攻め」のホンダと「守り」のトヨタ 
 第三章  「品質」のトヨタ、「コスト」のホンダ 
 第四章  カムリとアコード − 米国での戦い 
 第五章  トヨタとホンダのDNA 
 第六章  トヨタとホンダが見る夢 

 この本を知人から紹介された時、題名の『トヨタとホンダ』から俗ぽい本かなと考え、本屋で横にあった同じ光文社新書の『Zカー』を先に読んでしまった。 『Zカー』も良かったが、この『トヨタと日産』という本もよく書かれた本と感心した。

 『EU(欧州連合)では、乗用車からのCO2排出が全排出量の12パーセントを占め、その対応が地球温暖化を救うカギになっていた。 それを受けて、欧州自動車工業会(ACEA)は98年12月、1キロ走行時のCO2の排出量(業界平均)を、2008年までに95年比25パーセント減の140グラムに押さえることで合意した。』(12ページ)

 従来、ECは日本からの自動車輸入を制限していた。 そのため、日本自動車メーカーは国別にバランスをとりながら、利益幅の大きなクルマを販売してきた。 この自動車輸入制限が撤廃され、上記の燃費規制を反映して登場したのがビィッツとフィットであろう。
 輸入規制は過去の実績によって規制枠が決められることが多い。 この2社は販売ポテンシャルはありながら、販売する玉がない状態が続いていた。 そのため、規制排除された現在、大幅に販売台数を増やす可能性を持っている。 それも今まであまり重点をおいていなかったヴィッツやフィットといったBカテゴリーのクラスで、販売を強化していくものと考えられる。 年間販売台数は、1991年が約45万台、93年には39万台、その後2年ほど38万台レベルであった。 1999年4月に発売したヴィッツで2000年の販売台数は65万6000台ほどにまで上昇した。 一般の人にブランドが浸透するにはシェアー5%以上必要という話しがある。 この2社はシェアー5%に向けて販売を強化するものと考えられる。ちなみに、2000年の欧州の販売台数は、1670万台であった。

 この本はトヨタとホンダのクルマ造りの違いを明確にして、特徴を明らかにした本である。
 『「うち(ダイハツ)は軽自動車主体でやっています。 100点満点を狙うのは、まあ当たり前なんですが、ときには90何点というのが出ますよね。 でもトヨタさんは、100点を狙いなさい、絨毯爆撃で、(問題を)全部潰し込め、と言われる」(吉田)
 また、ダイハツはどちらかというと実機評価ではなく、設計評価のほうに重きを置いていたが、「トヨタさんは、やはり最終的には実機で確認しましょうか、ということが多い」(吉田)』(26ページ)

 『ホンダという会社は、新型車の開発の際に、あまり具体的な内容で指示することはない。』
 『このクルマはエンジンにしてもパッケージにしても、それらがすべて一緒にならないと商品にならない。マネしようにもマネできないでしょう」
 そういう松本がCR−Vの開発のとき同様、思い悩んだのは、
 「ホンダの存在意義とは何なのか?」
 ということだった。
 松本がたどり着いた答えは、「ホンダにしかできないこと」をやることだという。

 トヨタとホンダは勝ち組みと言われている理由を、著者は書きのように説明する。

『トヨタとホンダの収益はなぜ他社を圧倒しているのか。 収益源でいえば、両者とも米国で高業績が第一の理由だが、それ意外にも隠された成功の理由がある。 それは、トヨタは、「トヨタ車が売れる」という前提でクルマを作り、ホンダは「ホンダ車が売れない」場合を前提にクルマを作っているという点だ。 それが最終的には両者の強さに結びついている。』

 ホンダの場合、特に工場のラインごとの生産量のバラつきがひどく、例えばあるラインでは作るくるまがないにもかかわらず、あるラインでは生産量が追いつかず、残業や休日出勤という状態がザラにあったという。
 トヨタは基本的には1ラインで2機種か3機種しか作らない。それだけに、1ライン当たりの生産台数も多く安定している。 ところがホンダは総量が少ない上に、多機種を同じラインで作るからどうしてもバラつきが出てしまう。 当時は、これがホンダの弱点だった。ホンダはトヨタを目標にすることなく、弱点を克服した。

 『ホンダは、ステップワゴンなど、売れ筋のクルマが集中した鈴鹿製作所から、CR−Vの生産を短時間のうちに狭山製作所に移してしまった。 その方法を極限化したのが、2000年に完成した1ラインで8機種も生産する「超」フレキシブルなラインだ。 これを「多機種対応汎用生産ライン」と呼んでいる。』

 プラットフォーム共通化が言われているが、溶接工程に反映した改革こそが効果を生む。  『機種ごとに「変化するところ」と、どの機種でも「変化しないところ」をきちっと分けたのがホンダの知恵だ。

 『よく言われるようにトヨタのモノづくりの根底には、豊田佐吉伝来の「営業的実験」という言葉がある。 これは既述したように、「単に良いものを作るだけじゃダメ。きちんとしたテストをしてからでないとモノを世に出してはいかん」(豊田章一郎)という思想だ。
 彼の思想は、トヨタが得意とするQDR、つまり品質(quality)、耐久性(durability)、信頼性(reliability)の考えに貫かれている。 そのQDRが確実に守られるような仕組みが、生産と開発のシステムの中に確実に織り込まれているのだ。』

 トヨタは『販売のトヨタ』と呼ばれていているが、実際にはマーケッティング力を持ったのはホンダの方である。 私が考えるに『販売のトヨタ』とはセブンイレブンの持っているマーケッティング力に似たものだと思う。 常に売れるモノを求め、売れると言う前提のもとに品質を確保し、日本一の自動車販売網で販売する。
 一方、ホンダは標的目標を絞り、明確にする。

 
ホンダが最近こだわっている女性のイメージは「自立する女性」。フィットではさらにアクティブな女性をイメージした。 実際、埼玉の和光研究所の近くに住む実在の女性をモデルにして、女性の生活スタイルを見せてもらった。 27歳のOLで二人きょうだい、クルマで通勤していて、中には彼氏と公園で遊ぶ遊び道具なんかが満載されている。 もちろんスキーに行くときも自分で運転するタイプだ。

 つまり、トヨタはクルマの新しい傾向を的確につかみ、製品化する能力の高いメーカーである。 ホンダはクルマを購入する消費者に焦点を当ててクルマを開発するメーカーである。 トヨタは演繹的方法でクルマを開発し、ホンダは推論でクルマを開発している。 推論が外れればクルマは全く売れない。そのために、「売れないこと」を前提に開発せざるを得ない。 今のところホンダの出すクルマ全てヒットしているので、「攻め」のホンダと「守り」のトヨタのように見える。 2社の特徴をよく捉え、読んでいて楽しい本です。



『ユルゲン・シュレンプ』(ダイムラー・クライスラーに君臨する「豪傑」会長) ユルゲン・グレスリン著
 2001年11月30日 早川書房 2300円+税


 はじめに  並みはずれた人物 − 才覚、力量、野心 
 第一部   出世第一主義者 
  第1章  ハイエナ 
  第2章  非難の嵐 
  第3章  会社の進路 
 第二部   リストラ屋 
  第4章  女子寄宿学校の出身ではない 
  第5章  蛇の王 
  第6章  赤字のバランスシートと赤じゅうたん 
 第三部   グローバリゼーションの推進者 
  第7章  徹底的資本主義? 
  第8章  スーパースター、シュレンプ 
  第9章  変化の風 
 補足    臆病者、軟弱者、何人かのヒーロー 

 ダイムラー・ベンツ社とクライスラー社の合併を成し遂げた、ダイムラー・ベンツ社のCEOのユルゲン・シュレンプ氏について書かれた本である。 著者は、ダイムラー・クライスラー批判的株主協会の議長である。 原作の副題は“Der Herr der Sterne"となっていて、友人に聞くところダイムラー・ベンツのスリーポインテッド・スターにちなんで、“輝く星の男”となっている。

『シュレンプ氏の同僚、家族、関係者への直接取材と内部資料に基づき、その経営手腕を客観的に評価した本である』とは書かれているが、かなり批判的である。 それにもかかわらず、シュレンプ氏は、著者によるインタビューに、通常2時間にも会合で、5回も応じている。 それも、ダイムラーの批判者の1人として知られている著者と驚くほど積極的に話しをしてくれた、と言う。

 それは、この本の初めに引用されたユルゲン・シュレンプ氏の言葉に表れている。

     批判を受け入れられないなら、

     私は経営者にふさわしい人間ではないだろう。


この本に書かれている内容はかなり批判的であり、ドキュメンタリーとしての価値は高くない。 だが、今までダイムラー・ベンツ社について書かれた本は少ないので、そう言う意味で紹介する価値があると考える。

 ユルゲン・シュレンプ氏は、同じ業界の人間として、日本では日産のカルロス・ゴーン氏と比べられることが多い。 共通点としては、カルロス・ゴーン氏は30歳代でフラジルとアメリカでの子会社の運営を任された。 ユルゲン・シュレンプ氏は、同様に南アフリカの子会社の経営を任されたことであろう。 経済情勢も政治情勢も異なる環境で、製造から販売まで責任を持ったことが共通点と言われ、優秀な経営者を育てる方法と考えられている。 同様のことは、トヨタ自動車の奥田会長のフィリッピン時代があると言われているが、こちらは資料がない。

 訳者あとがきにあるシュレンプ氏の略歴を紹介する。

 シュレンプは1944年フライブルグ生まれ。 工科学校を卒業後、1967年に工員としてダイムラー・ベンツに入社した。 これが彼の出世街道の起点となった。 主にトラックやバスのエンジニアリングを担当していたシュレンプは、1974年、海外で働きたいという希望がかなって南アフリカへ転勤となる。 8年後にアメリカの子会社ユークリッドの会長となるが、2年後にその会社を売却、南アフリカに戻る。 1985年、メルセデス・ベンツ・南アフリカ会長に就任。 1989年にはダイムラー・グループの航空宇宙部門であるドイツ・エアロスペース会長。 そして1995年、ついにダイムラー・ベンツ会長の地位につく。

 著者のユルゲン・グレスリン氏は批判的株主協会の議長であり、株主の立場からシュレンプ氏が財務的な成果を上げていないことを攻撃している。 しかし、事業撤退も重要な業務であり、賭けたリスクの中でうまく撤退したならば、それは困難な仕事をやり遂げたことと同等である。

 シュレンプの成功の鍵は財務上の成果にではなく、自分の置かれた状況を他人に提示する独特の技能にある。 すなわち、人びとに次のように信じさせるようにするのだ。 彼がとった以外に問題への対処法はなく、自分がその立場にいたらまったく同じ決定をしただろう、と。 シュレンプは広告の世界チャンピョンだった−何よりも自分自身のための。

 ユルゲン・シュレンプ氏は、エベレストを無酸素盗聴した、あの登山家のメスナー氏と交友があり、いっしょに山に登って、危険な目にもあったと言う。 また、南アフリカの農場では、ライオン、ひょう、サイやゾウの出る道を深夜、9ミリピストルを1丁携えて歩くことがあったという。 更に、スカイダイビングも行っていたようだ。 『豪傑』会長と書かれるエネルギーの源がわかるような気がする。 そうでなければ、ダイムラー・クライスラー批判的株主協会の議長のインタビューにも応じることなく、この本も出版されていなかっただろう。

 なお、クライスラー社との合併を取り扱った本として、 『ダイムラー・クライスラー』(世紀の大合併をなしとげた男たち) を参考にしてください。
 上記の本には、ダイムラー・ベンツ社はフォードとクライスラーと交渉していたと書かれていたが、この本にはGMとのアルファ・プロジェクトがあったことが書かれている。


『Zカー』  片山 豊・財部 誠一著 2001年10月25日
 光文社新書 680円+税


 序章   Zカー復活 
 1章   アメリカ日産を作る 
 2章   Zカー誕生 
 3章   Zカークラブ 
 4章   ダットサンが消える 
 5章   ブランド・アイデンティティ 
 6章   またルノーがやってきた 
 7章   継承されていたDNA 
 8章   ニューZ 
 9章   夢 
 終章   ビジョナリーであること 

 全米各州に『Zカークラブ』があり、『ミスターK』と呼ばれているのが、片山豊氏である。 片山豊氏の成功物語になったのは、1960年3月、50歳の時にアメリカに行った時からである。 『原科副社長から「おまえは邪魔にされているから、ちょっとの間アメリカに行ってマーケットでも調べて来い」と言われて、体よく日本から追い出された訳です。』(33ページ)

 実際にアメリカに行ってみると、こんなことをしていたら車は売れないということばかり。 VWをみならったサービス重視で販売台数を伸ばし、会社の意向に反し、米国日産の社長になった。

 今度は本社の意向を無視してZを開発してしまった。 1970年に『240Z』で発売し、ヒット商品になり、ダットサンは1975年にアメリカの輸入車ナンバーワンになった。 片山氏は『ファーザー・オブ・Zカー』と呼ばれるようになった。  1980年、ダットサンというブランド名が強制的に消され、日産になった。 ブランドは一度お客様の心の中に定着すると、お客のイメージの中に生きている。 ブランドというものは、もうお客様のものになっていて、企業のものではない。
 しかし、日産はアメリカで“ダットサン”というブランドを捨て、“ニッサン”に変えてしまった。 つまり、お客さんの持ち物であるブランドを勝手に潰してしまった。 それまでアメリカ市場において、輸入車でトップの販売台数を誇っていた日産自動車が、これを契機にあっさりとトヨタに抜かれてしまった。 現在では、ホンダに抜かれ3位に落ちてしまった。
 参考までに、年配の方の中には、昔の車検証の中の社名の欄に『ダットサン』と入っていたことを覚えている方もあると思います。  また、『240Z』は、片山氏が日産を去った後、『300ZX』となり、若者では手がでない高級車となってしまった。

 2001年1月のデトロイトの北米自動車ショーで、新型Zのコンセプトカーの前で、カルロス・ゴーン氏は次のように言った。
『ニッサン・イズ・バック』

 Zカーは1997年に販売中止されたが、カルロス・ゴーン氏がZカーを復活させると宣言して、すぐにコンセプトカーが出てきた。 これは日産の開発部門内部で、Zカーを開発した時のDNAが残っていたからである。 いわゆる密造酒と言われているものであり、開発部門にのみ許され、企業の推進力でもある。
 ヘッドハントされた中村史郎氏は次のように言っている。
『デザインが変わったわけではない。会社が変わったからデザインが変わったのです』


『ルネッサンス』(再生への挑戦) カルロス・ゴーン著 2001年10月25日
ダイヤモンド社 1840円+税


 プロローグ  私の流儀 
 T部  形成期 
 1  ブラジルに生まれて 
 2  学生時代 
 U部  ミシュラン 
 3  早朝の電話 
 4  工場で学んだ教訓 
 5  ブラジル派遣 
 6  人生最良の決断 
 7  ハイパーインフレとの闘い 
 8  ゴーン・ガーデン 
 9  アメリカへ 
 10  困難な日々 
 11  転機 
 12  絆を断つ 
 V部  ルノー 
 13  悩む名門企業 
 14  200億フランのコスト削減 
 15  パートナー探し 
 16  日本へ行く決心 
 W部  日産 
 17  燃えるプラットフォーム 
 18  マネジメント不在 
 19  クロスファンクショナル・チーム
 20  日産リバイバルプラン 
 21  プラン180 
 22  グローバル・アライアンス 
 23  マネジメントの変革 
 24  人間こそ日産の強み
 X部  家族・世界 
 25  親として 
 26  思考・言語・国 
 エピローグ  私の闘いは、これから始まる 

 著者のカルロス・ゴーン氏は日産自動車社長兼CEO(最高経営責任者)である。 企業人のみならずマスコミまでもが、『日本人ではできない』とか『カルロス・ゴーン氏は日本のエリート以上の超エリート』と、改革ができなかった理由ばかり探している。 日本の多くの企業が改革できない状況を見て、カルロス・ゴーン氏自らゴーン流の改革のやり方を書き下ろした本である。

『企業改革は、優秀な先生から授けられた秘訣でもなく、本か何かで勉強できるものではない。 マネジメントとは職人の手仕事のようなもので、秘訣などなく、実際にみずから手がけ、試行錯誤し、多くの重要な決断を下すことによって学ぶものだ』と示している。
 とはいえ、カルロス・ゴーン氏の行った改革は、経営理論に沿ったものであった。 この本の題名の『ルネッサンス』は、日産自動車の復活のみを意味しているのではない。

 ルネッサンスの到来とともに、ヨーロッパの人々は再び人間を存在の中心に置くようになった。 彼らはそれまで受け入れてきたやり方と牢固たる信念に挑戦した。 古いドグマを捨て去り、物事を批判的に分析する思考方法を身につけ、目を開いていった。 そして、芸術と科学の再発見へ、さらには新世界への旅へと乗り出したのである。(iiページ)
 カルロス・ゴーン氏の改革は、“はじめに”の中のこの言葉に象徴されていると私は考えている。 一般的に改革を始める時に、人事を一新することがある。 しかし、彼は人を替えるのではなく、人の意識を変えることによって改革を成し遂げた。 まさに“古いドグマを捨て去り、物事を批判的に分析する思考方法を身につけ、目を開かせた”のである。

カルロス・ゴーン氏の日産自動車の改革は、カウンセリングやコーチングという方法を組織に応用したものだと考えられる。 それも操作主義(やらせ)にも陥ることなく、といって“でたとこ勝負”でない中間の方法を選択したのであった。 それを象徴的に表しているのが下記の言葉である。

 日産が抱えている問題点の解決策は社内にある。(171ページ)

 今までは破綻の原因を外にばかり求めていたが、実際には問題は内にあり、カルロス・ゴーン氏は内面的成長を援助した。 キーワードとなる言葉は、『燃え盛るプラットフォーム』と『クロス・ファンクショナル・チーム』である。

 『燃え盛るプラットフォーム』は日産の社員に、今置かれている状況はどういう状態にあるかを認識してもらうためのものである。 そして、同時にカルロス・ゴーン氏がどうして日産に派遣されてきたかを示すものでもある。
 各部署や各部門がそれぞれ勝手に動くという事態は、ブラジルでも何度も目にしてきた。 ミシュラン北米でもこれと同じことが起きていた。 私は職務の異なる人々を一堂に集め、それぞれ異なる観点から同じ問題や機会に取り組む必要性を痛感した。 こうして誕生したのがクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)だった。 CFTによって自己洞察し、、自己理解を深めて、問題解決策を見つけていった。
 さまざまな分野の人々が活発な議論を交わすうちに、それぞれの部門に染み付いた「昔ながらのやり方や習慣」を変えるには、部門や職務の壁を超えて一堂に会する場が必要なことが明らかになった。 それなしには顧客や株主を満足させる成果は生まれない。

 セブンイレブンと呼ばれたカルロス・ゴーン氏は、会社の状態を詳細に、全体像を把握するために動いていた。

 社長の仕事は、会社の中に見落とされがちな部分やあいまいな部分を残さないことである。 可能な限りあらゆる場所に光を当て、トップが会社のあらゆる部分を公平に扱っていることを示していかなければならない。
 日産社員の多くは、私がなぜ会社運営のあらゆる面にそこまで首を突っ込むのか戸惑っていた。 しかし、私はミッシュラン入社当初に工場で働いた経験から、マネジメントが会社の現状を詳細に把握していなければ会社を正しく導くのは難しいと思っている。(165〜6ページ)
 最後に、日本企業の特徴をよく現している箇所があるので、引用しておく。

 2001年初頭に、日産の労働組合と春闘の交渉を行ったときのことだ。 私は交渉半ばにして彼らの要求するボーナス額を承諾してみなを驚かせた。 承諾したのは彼らの要求が妥当に思えたからだ。 私は日産リバイバルプラン(NRP)が株主だけではなく、社員のためにもなることを知ってもらおうと考え、要求額に「OK」を出した。
 ところが交渉団のメンバーは、もう2週間ほどボーナス交渉を続けなければならないと主張した。 「何のために?」にたずねながら、私はまだほかに要求があるのかと思った。 すると、とくに要求がないが、あと2週間話し合って、決められた集中回答日まで待つのがいままでの手順だという。 要求が通ったら、交渉を長引かせる理由はないはずだ。話し合うだけ無駄である。 私たちには無駄なことをしている余裕はない。いままでこうしてきたからという理由だけで、それも何ら付加価値もないというのに、手続きに固執するというのは、私にはまったく会せなかった。(222ページ)


『日産自動車の失敗と再生』 上杉治郎著 2001年10月1日
 ベスト新書(20) KKベストセラーズ 680円+税


 はじめに  あなたの会社は日産のことを笑えるほど立派ですか 
 第1章   放任されたブランド管理 
 第2章   本社が強大すぎるとどうなるか 
 第3章   セクショナリズムの弊害 
 第4章   日産型グループ統治の特質 
 第5章   節度なき拡大と誇張がもたらしたもの 
 第6章   序列支配と銀行依存との決別 
 第7章   ゴーンの手に青い鳥はとまるか 

 著者の上杉治郎氏のプロフィールとして以下のように書かれている。

『自動車メーカーに40年間勤務。 販売推進部長などを歴任後、系列ディーラの社長を10年間務め、退職後は執筆活動に専念』

としか書かれていないが、日産自動車出身ではないかと思わせるような記述があちらこちらにある。

 この本はカルロス・ゴーン氏の改革について直接扱った本ではない。 日産自動車は1959年に初代ブルーバートを発売した。 この頃の日産自動車は『技術の日産』にふさわしいブランドイメージを持っていた。 同様のことを語る人は多い。 にもかかわらず、長年に続く衰退を続け、ルノー社に買収されてしました原因について書いた本である。
 日産自動車は典型的な日本のサラリーマン社長のいる企業であろう。 この原因をはっきりさせることが、現在不振で苦しんでいる多くの日本企業にとって役に立つと考えたからである。

 誰しもが思い浮かべる代表的な日本企業の欠点は、セクショナリズムであろう。

『日本は元来、個人主義に基づいた各人の競争よりも、和と協調に重きをおく。 その傾向はとくに企業社会で強く、集団主義からなる組織が1つのムラ社会のようになる。 そこにムラとムラのあいだに侵すべからざる境界線ができてしまう理由がある。
 個人には「協調性があるかどうか」という項目が人事評価の重点項目になっている。 それにしては部門間、部署間における課題の共有とか協調性についてはあまり目が向けられない。 それどころか、セクショナリズムが横行すると、ついにはそれが覇権争いにまで発展することさえある。 内紛の大半は足の引っぱり合いである。


 日産自動車でよく話題に出されるのが、1980年頃の石原社長時代の海外拡大戦略である。 著者は労働組合とのねじれた関係を強調するが、私は以下のように考える。 自動車会社のコストの半分は固定費であり、残り半分がオペレーション効率である。 当時の日本企業は固定費の部分を考慮しなくてもよい環境下にあったのではなかろうか。 ただ単にオペーレーション効率を求めて、規模の拡大を推し進めていけばよかったのではなかろうか。 それを効率よくやり過ぎたのが日産自動車ではなかろうか。
 1990年のベルリンの壁の崩壊で、競争が激化し、資本効率を重視しなければならない環境に変化した。 にもかかわらず、バブルによって設備過剰の状況に陥り、資本効率をさらに悪くした。

 カルロス・ゴーン氏が、CFT(クロス・ファンクショナル・チーム)に対してどのように接したかが書かれているので参考に引用する。

『CFTのメンバーがゴーンの指示に対して、もうこれ以上は不可能だという顔でもしようものなら、はやぶさのようなあの鋭い目で、
 「不可能を可能にしないとNRPは出来上がらない。会社が再生できないようなプランを作っても、なんの意味もない」
 そうきつい調子で言ったあと、すぐに部下たちの心がなごむような温かい視線で、
 「あきらめてはいけない。いろいろな考え方があるはずだ」  と、例えば欧州メーカー各社ではこうしているとか、合理主義の徹底したフォードではこんなやり方をしていると、豊富な知識と経験に基づいた的確なアドバイスがある』


『共創のマネジメント』(ホンダ 実践の現場から)  吉田 惠吾著  2001年9月20日
NTT出版  1600円+税


 第1章  現場のトップとして、まず何を考えるべきか 
 第2章  自由闊達で共創的な組織を作る 
 第3章  共創的マネジメントを作り出す 
 第4章  潜在意識を活用する 

 モノやコトを新しく作り出す発想、つまり創造という作業を盛んにするプロセスてあり、この本はチームにおける共同的創出(共創)のありかたを追求したものとなっています。
 本田技研(株)社内には、共創フォーラムがある。この本の著者は、共創フォーラムの吉田氏である。 トヨタ自動車にマネジメント研究会があるように、本田技研には共創フォーラムがある。 このように企業のマネジメントについて、まじめな議論できる場があることが業績の良い企業の特徴のひとつであろう。

 企業の生命は創造的なアウトプットであるが、企業にとって真に重要なのは結果にいたるプロセスである「創造的な場」を作り出し、その場の向上を続けることである。
 少し趣旨は異なるが日産自動車のカルロス・ゴーン社長のプロセス重視の考え方や、トヨタ自動車に見られる『結果による管理』を廃して『プロセス重視の経営』とつながるものがある。

 創造とは、自己が自己の境界を越えて新しい自己の境界を創出することである。 創造の根底には、自己の境界を越えるための自己否定がある。 「自己の境界」とは、自分の胸のうちに持っている諸々の自己規制、思い込み、知識の分野などのことだけではなくて、それをも含んで、 自分の周りにある社会、組織、習慣、家庭など自分が依って立っている環境である。
 自己の境界を越えず行われるのは改善である。 ある技術なり、しくみなりは、その常識のなかで改善され、向上していくとやがて行き詰まっていく。 行き詰まってきた時の改善には力がない。
 航空機の例で言うならば、1940年代にプロペラによる速度向上の努力が時速700キロメートル付近で行き詰まってきた時にも、今一歩の向上を目指して改善の努力した技術者やマネジメントは数多くいたのである。 しかし、その努力はジェット推進という新しい創出の前には無力であった。
 1980年代にアメリカで行われた日本産業研究で賞賛された改善は、既にこのとき行き詰まっていたのである。 欧米企業は設計まで入り込んだ改善(事実上の創造)によって、信頼性という意味の品質にキャッチアップし、魅力的品質で抜き去っていったのである。
 創造の根本として重要であるが、実行するのは難しい自己否定 ― 今までの自分の常識をひっくり返すこと ― ができやすくするための方法は、信頼できる仲間とホンネの議論をすることである。 ホンネの議論をすることが自己否定実行の近道なのであり、「共創」の現実的な姿である。 この観点から「共創」とは自己否定をしやすくするための1つの方法であると言っても間違いではないだろう。(57ページ)
 創造は個人で行なうよりも集団で行なった方がやりやすい。 だが、ホンネの議論ができ、葛藤を持ち込んでも場が壊れないようにするための工夫が必要になる。 その工夫のための原則は「目的の共有」「平等」「異質の許容」の3つである。
 1つの例として、自衛隊が米軍と合同演習をした時の話がある。演習のあいだには検討会が頻繁に開かれる。 演習の状況を評価し、反省し、改善を図るのが目的の会である。検討会は米軍が主催する時もあるし日本側開催の時もあり、交代しながら主催役を務める。 やっていくうちに妙な傾向に気がついた。 米軍主催の検討会では建設的な結論が出るのに日本側主催の時には出てこないで事象評価をやっておしまいになってしまう。 どうしてこうなるのか考えて思いあたったのは会議の座席配列という「かたち」であったという。
 米軍主催の時には座席は自由であって、司令官大佐殿のとなりに新米の少佐が座って意見を言っていても何らおかしくない雰囲気ができていて、実際に突っ込んだ反省や批判が下から上に向かっても出てくる場が作られていた。 ところが日本側主催の時には日本的慣例で座席は位の順に着席するようにしつらえられ、しかも日米が対面でずらりと並ぶかたちにしてあった。 こうしたかたちにはめ込むと自由な発言をしていた米軍の連中も意見が減ってしまい、上級指揮官の戦術を下位社が批判するなどとんでもないという場の雰囲気が作られてきたというのである。
 ついでながら、本田技研では創造力溢れた本田宗一郎氏というリーダーが退任してしまった事態の後に、集団で創造力を発揮しなくてはならないという危機感から『明日を創るためのテキスト』を1975年に発刊・配布している。


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