中央経済社 1,400円+税
第1章 それはトップの宣言から始まった! 第2章 答えはすべて店舗のなかにある 第3章 業績が伸びる! コミュニケーションと動機づけ 第4章 店長が態度で示せ! ベクトル合わせと顧客指向 第5章 最強の店舗を創る! 人材育成と役割分担 第6章 いかに、店長たちは変わったか! 第7章 さらなる戦いのために・・・・・・
日産自動車は2003年に、国内自動車販売でホンダを抜き、再び2位の座に戻った。
日産は4つあった販売チャネルを、2つに統合し、販売店の大型化を行なった。
この本に書かれてある販売力の再構築は、店舗の改装等のハードについてではない。
武田薬品工業はコンピテンシーを活用した人事制度の導入により、企業業績を向上させた企業として有名である。
この本は、自動車販売店の店長に対して、コンピテンシーの導入が書かれている、と言い換えても良いだろう。
コンピテンシーは氷山モデルが有名である。
水の中に隠れているのは、先天的に持って生まれた性質であり、人格や性格、才能などに譬えられる。
一方、水面上に表れている部分は、後天的に習得できる知識やスキルに譬えられます。
コンピテンシーとは、水面のすれすれにある物事の考え方や仕事に対する姿勢、こだわり、行動特性です。
高業績者に共通して見られるコンピテンシーを、行動によって獲得しようとするものである。
武田薬品工業のコンピテンシーの導入は、漏れ聞くところでは、特に営業職に効果が大きかったと聞いている。
医薬品メーカーの営業職は、MR(Medical Representative)と呼ばれている。
大学病院に出入りしてドクターに会い、自社製品の紹介、臨床試験の結果や学会の報告等、医薬品に関する情報を提供し、自社製品の販売促進するのが仕事です。
自動車販売店の店長も似たような職種です。
店長の仕事としてやらなければならない仕事は経験知の集まりとしてあります。
しかし、いざ実行するには優先順位がなければ、効果的な営業はできません。
その優先順位を与えてくれるものが、コンピテンシーとも言えるでしょう。
日産自動車ではブース・アレン(プロジェクト開始当時は、ジェミニ・コンサルティング・ジャパンで、その後経営統合した)に委託した。
この本では高業績者をベンチマークするので、ベスト・プラクティスと呼んで、本の題名になっている。
中小企業の業績の良し悪しは、社長さん次第である。
同様の趣旨で、販売店の業績の良し悪しは店長にかかっているという前提の下で行われた。
第一段階は、好業績店と低業績店を比較することによって、高業績店のベストプラクティスを洗い出した。
結果は、きわめて当たり前のことであった。
第二段階は、それに対して店長自らが自己診断を下すとともに、部下の下からの評価をアンケートした。
これはあくまでも店長を評価するためでなく、店長に積極的な行動を促すためである。
第三段階として、浮き上がった店長像に対して、どのように行動を変えれば良いかを、「店長行動改革プログラム(100日間の戦い)」を作成した。
日産サティオ関西では、2002年7月から店長行動改革プログラム(100日の戦い)を始めた。
まず、振り返りシート週間報告がある。
実践プランとして取り組んでいる行動を店長自ら振り返るシートである。
8月と9月に2回の振り返りと総括を行なった。
店長とスタッフ(部下)にアンケート調査して、行動改革の成果分析を行なった。
今までの活動において、達成できたことと未達成だったことを把握して、次のステップに進んでいった。
8月27日には、1泊2日で店長研修会も行なった。
この他に、日産サティオ関西では、組織をオペレーションする役員業務が、クロスファンクショナルに遂行され、極めて風通しの良い組織になった。
管理部門を統括する役員に、29の新車販売店舗の内、10店舗の経営を担当する職務が与えられた。
中古車販売の責任者にも、新車販売拠点の経営を受け持っている。
これにより、自然に発想か「全社スケール」になり、自分の狭い担当業務だけに視線を合わせたセクショナリズムが排除されつつあるという。
中公新書ラクレ(102) 720円+税
序章 キタムライズムの原点 第1章 「統率する」という仕事 第2章 会社発展となったポイント 第3章 イタリアトヨタのわかりやすい戦略 第4章 イタリアで上昇気流に乗る「トヨタ」 終章 塩野七生氏が語る「北村社長」像
2002年4月9日に、イタリアトヨタの新社屋のオープンセレモニーが行われた。
ローマの南西の広大な丘に、総建物面積1万4736m
イタリアでは、1992年まで輸入車にライセンスを発給することで、日本車流入を厳しく制限してきた。
1993年以降は「船積枠」を設定して「自主規制」が行われてきた。
1999年を例にとると、日本のメーカー全部の枠は、12万9500台に過ぎなかった。
「完全輸出自由化」は2000年まで待たなければならなかった。
ローマにある企業で、一番元気がよいのがイタリアトヨタであり、北村社長であった。
北村社長は、1996年にイタリアトヨタの社長に就任し、「完全輸出自由化」に向けて販売店のネットワーク作りを行なった。
なお、イタリアトヨタはインポーター(輸入業者)であり、販売店にクルマと部品の卸売りを行なうディストリビュータでもある。
北村社長はヘッドハンティングを受け、動揺したこともあったが、トヨタで金字塔を打ち立てなければ気がすまない。
それに何よりもトヨタが好きだという人柄であった。
販売台数を1996年の1万5192台から、2001年の10万218台と伸ばしていった。
輸入規制中はランドクルーザーのような高価で1台あたりの利益の高いクルマを販売していて、「利益志向」であった。
しかし、輸入自由化を控えて、価格の安いクルマを数売る「量販志向」変えなければならなかった。
しかも、ショールーム等の改装に多額の投資を必要としていた。
94社あった販売店の内、44社に止めてもらい、新しく76店と契約した。
イタリア全土を131のテリトリーに分け、大型店を作った。
トヨタがディーラーに要求した条件は、「人脈が豊富」、「高いレベルの要求に応じられる」、「やる気が十分ある」、「トヨタに対するロイヤリティが高い」であった。
日本人はイタリアといえば、昼休みに自宅に帰り、昼食をとり、昼寝する習慣があると思ってる方も多いと思います。
たぶん、北村社長が就任した頃には、シエスタの習慣はなく、日本人と同じような仕事のやり方をしていたものと思います。
仕事をしないと言われたローマ人が、残業する、バカンスシーズンの8月に仕事をする奇跡と呼んで良いのではなかろうか。
奇跡を生んだ北村社長が現地に溶け込んだからできたと考えられる。
仕事に対してはトヨタの方式を頑として譲らなかったのに対し、生活は徹底してイタリア流を取り入れた。
議論好きなイタリア人相手に奮闘した。
また、イタリアは階級社会であり、着るものに対するセンスの良さが重視される。
これだけは努力してもすぐに身に付くものでないだけに、苦労したのではなかろうか。
北村社長には、イタリアに骨を埋める覚悟と、人を「見る目」と「伸ばす力量」があったために成功したと思われる。
特に幹部の養成には精根傾けてきた。幹部ひとりひとりをふるいにかけた。
会社発展には無関係と思われる人、むしろマイナスになる人には辞めてもらった。
法律によって、社員を辞めさせることの難しいイタリアでである。
新たな人材は、ベットハンティングで見つけてきた。
なお、塩野七生氏はイタリア在住の作家である。
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第1章 旅立ち 第2章 パリ 第3章 ミシュラン 第4章 リオデジャネイロ 第5章 北米での挑戦 第6章 さらばミシュラン 第7章 ルノー 第8章 アジアへ 第9章 日本で 第10章 ルノーの人々 第11章 聴診、そして診断へ 第12章 仕事について 第13章 ショック療法 第14章 コミュニケーションの必要性 第15章 弱点の強化 − デザイン・財務・販売 第16章 新しい企業文化 第17章 提携を活力あるものにするために 第18章 経営者とは 第19章 明日の自動車産業 第20章 中国市場 第21章 希望のメッセージ
この本については訳者あとがきに書いてある。
本書は、2003年6月までAFP通信社の東京支局長であったフィリップ・リエスがカルロス・ゴーンにインタビューしてまとめた CITOYEN DU MONDE(地球市民)の翻訳である。
インタビューは2002年から1年がかりで行われ、そのあとリエスの原稿にゴーンが補筆するという形で完成した。(433ページ)
カルロス・ゴーン氏の経営を深く理解してもらう観点から、『ルネッサンス』同様に自分のルーツ、幼少時代から書いている。
『ルネッサンス』になかった出来事も多く入っている。
カルロス・ゴーン氏にメンターとなって多くの影響を与えたフランソワ・ミッシュラン氏についても多く書かれている。
この本では、ミシュラン・ブラジル、ミシュランUSA、ルノー、日産自動車の改革について、ケース・テタディーできる素材としても価値を持っている。
共通して言えることは、企業の困難の原因は、その企業のなかにあることである。
企業内部の原因を取り除かなければ、企業再生はあり得ないことを教えてくれる。
そのためには、「経営者がやるべきことの中で尤も重要なことは従業員のやる気を起こさせることだ。
彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる。」、が重要である。
日産の復活のより具体的な手法としては、下記の3つをがあるのではなかろうか。
ひとつ目がサプライヤーとの関係の仕方を変えたことである。
結論を言えば、日産自動車は『我々を支援してくれるサプライヤーを支援する』という道を選んだ。
そうやって各社の工場を訪れてみると、企業ごとの違いがよくわかりました。
特に顕著だったのは、サプライヤーとの関係の仕方の違いでした。
メーカーとサプライヤーの関係は、それによってメーカーの業績が左右される、大変重要なものです。
また、その関係の仕方によって、サプライヤーに何を要求するかも違ってくる・・・。
実際、私たちはGM、フォード、クライスラー、ソレニトヨタ、ホンダ、日産から、同じような要求をされたことがありません。
それぞれの企業には、それぞれの固有の性格があったのです。
もちろん、米国人には米国人の特徴というものがあり、日本人には日本人の特徴というものがあります。
しかし、米国の企業ならまったく同じか? 日本の企業ならまったく同じか? と言えば、そんなことはありませんでした。
ホンダと一緒に仕事をするのとまったく同じように、日産やトヨタと仕事をするということはあり得ません。
そこには3つの異なった世界があったのです。3つの異なった技術があり、すべてが3通りになっていたのです。(114〜5ページ)
会社の規模を世界レベルまで広げただけでは、グローバル企業にはなれない。
生産をベースにした地域別の経営から、開発をベースにした製品ライン別にかえなければならない。
ホンダの特徴はまず何よりも技術を大切にする会社であるということだと思います。
(中略)
ある時、ホンダが私たちのところに試作車を持ってきたことがありました。
それで、どんなタイヤをはかせればよいか、一緒に相談することになったのです。
ホンダの技術者とミシュランの技術者の間で議論が行なわれました。しかし、なかなか結論がでません。
すると、ホンダは日本からある自動車ライターを呼んで、『どのタイヤがいいか、決めてほしい』と頼みました。
そのライダーはサーキツトにやってくると、タイヤそのものは見もしないで、試作車にいろいろな種類のタイヤをはかせ、実際に運転してみたあとに、『このタイヤがいい』と言いました。
これで議論は終わりです。深い専門性と鑑定眼に裏打ちされた実用主義・・・。これがホンダの特徴です。
このように、ホンダの人たちは良いものであれば、タイヤのブランドにはこだわりませんでした。
しかし、価格については妥協を許しませんでした。
トヨタはとっつきにくい人が多かったように思います。どこか力を見せつけるようなところがありました。
自分たちの世界と外の世界がはっきりと2つに分かれている、そんな感じでした。(185ページ)
ホンダやトヨタに比べて、日産のイメージはあまりはっきりしませんでした。日産は技術力のある会社でした。
私はアメリカでシーマを運転していたのですが、この車からは強烈な印象を受けました。
300ZX(フェアレディZ)に試乗したこともあります。素晴らしい車でした。
しかし、その一方で、会社としては、頭もなければ尻尾もないような不思議な物体を見るような思いでした。
深い考えもなければ、戦略もない。何かこう、いろいろな要素を寄せ集めただけの個性のはっきりしない会社だったわけです。(185ページ) その結果、私たちはそれまでの地域別の経営法から、製品ライン別の経営法に切り換えることで、解決の道を探りました。
すなわち北米、アジア、欧州といった地域別に事業を行なうのではなく、乗用車・小型トラック用タイヤ部門、バス・大型トラック用タイヤ部門、農業機械用タイヤ部門、建設土木用タイヤ部門、地図・ガイドブック部門など、製品ラインをひとつの単位にして、その単位ごとに事業を行なっていこうというのです。
私たちは95年末から96年初頭にかけて、この方法を細かく検討し、その結果、ついに製品ライン別に事業を展開する経営方針が発表されました。
この経営方針では、“地理的な地域”はそれまでの中心的な役割からはずれ、製品ラインをサポートする形で業務を行ないます。
つまり、生産、管理、営業、販売などの部門が製品ラインを中心に戦略や計画を立て、それを地域ごとに実行に移していくわけです。(126ページ)
生産性と生産能力の混同を解消したことです。
バブル崩壊後、バランスシートの調整ができていない理由はここにあります。
そこで、私は北米日産の人々にこう言いました。
『現在の業績を欧州日産や日本の状態と比較せず、自分たちの潜在能力と比較なさい。
あなたがたはまだ自分たちの能力を十分に発揮しているとは言えません』・・・。
ただ、人々がつい本社やほかの子会社と比較して満足してしまうのは、現地の社長のもとで子会社が独立した組織になってしまっているからです。
そこで、私はその弊害を防ぐために、海外子会社の社長職を廃止することにしました。
その代わりに、販売・マーケッテング担当、生産・購買・品質担当、財務・一般管理担当および研究開発担当の4人の責任者からなる経営委員会を置き、そのトップはその地域に常駐しない、日産本社の取締役、すなわちエグゼクティブ・コミッティのメンバーのひとりを据えたのです。
その結果、北米の事業は松村矩雄が統括することになり、欧州のほうは小枝至を任命しました。
ということで、私は日本から直接、海外事業の指揮をとることができるようになったわけです。(301ページ) したがって、問題なのは生産性ではない。工場の数であった。
リバイバル・プランが発表された99年当時、日産の国内工場では年間240万台の生産が可能だった。
ところが、この年の見込み生産台数は128万台に過ぎず、そこから計算すると工場の稼働率は53パーセントにとどまることになる。(260ページ)
日産の改革が順調に進んだのは、下記の手順を踏んでいたからと考えられる。
第一に、提携前からのクロス・カンパニー・チームによって、協力できる分野がはっきりしていた。
更に、契約提携後の4月から、カルロス・ゴーン氏が意欲的に日産自動車の色々な部門を回り、目標をどこに落とし込むかを決めていた。
第二に、ルノーのスタッフに対して、日産自動車をサポートする方針を伝えていた。
第三に、日産自動車のあるべき姿を示し、上意の目標から示し、達成可能な目標としてブレークダウンした。
このことによって、日産自動車の社員は表立って計画の反対を言い出せない環境にした。
第四に、全体に効果のある主要部分に絞って、日産自動車を改革した。半年後との目標を定め、進捗状況をわかりやすくした。
東洋経済新報社 1,800円+税
第1章 新しい出発(2001年/春) 第2章 新しい国際的なリーダーの登場 第3章 グローバルな提携(アライアンス)を結成する 第4章 先入観を持たない 第5章 完全な透明性は、信頼を築く 第6章 計画遂行の技術 第7章 すぐれた製品は、すべての問題を解決する 第8章 ハード・ワークは簡潔さの源泉 第9章 ワールド・クラスの自動車メーカーになる方法 第10章 大胆に方向転換する 第11章 1人の人間が変革を主導する 第12章 日産再建の完了
この本の題名の『ターンアラウンド』は、『企業再生』を現す英語である。
カルロス・ゴーン氏が日産自動車を日産リバイバルプランで、いかに再生させたかについて書かれている。
著者は企業再生のキーワードとして『透明性』を強調している。
透明性について、ゴーンのコメントを引用する。
「透明性は、21世紀の企業が直面する最も大切な問題です。
日産の経営幹部は高い透明性を実現し、周囲から疑問をいだかれないようにしたいと思います」(114ページ)
日産リバイバルプランが予想以上の成果を上げたのは、提携交渉中のクロス・カンパニー・チーム(CCT)が役に立った。
ルノー側にとって興味深かったのは、CCTのプロセスを活用して提携を検討している間に、CCTが強力な提携の結成に役立つことが、はっきりわかったことである。
ルノーは、日産を救済するために多額の資金を投資する立場にあるのだ。
それでいながら、連帯感があり、両社の独立を維持する平等な雰囲気が形成された。
チームメンバーが長い時間をかけて提携を研究するうちに、両社が協力すれば最終的には双方に利益をもたらす事例がたくさんあることがわかったためである。
カルロス・ゴーン氏が最初に行なったのは、現状調査であった。
この本に一貫して書かれているように、カルロス・ゴーン氏は先入観を持たず、自分の目と耳で現実を見極める能力が高かった。
問題の解決策は社内にある、との結論を導きだした。
多くの人はクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)について誤解している。
誤解のひとつは、CFTが日産リバイバルプランを作り出すだけのチームと考えることである。
実際には、日産リバイバルプランを梃子(てこ)にして社員の意識を変えることを目的にしていた。
「私は生え抜きの日産マンではありませんし、日本人でもありません。
私が上からの変革を強引に推進したなら、かえって逆効果になり、社員の士気や生産性を低下させてしまったでしょう。
しかし、私が変革に及び腰になったら、日産の凋落の一途をだどったでしょう」とゴーンは言明している。
社員の意識さえ換えられれば、そこから出てくる日産リバイバルプランは一定の品質は確保できると考えていた。
解決策は、クロスファンクショナル・チーム(CFT)の導入だった。
CFTはゴーンの得意とするマネジメント手法であり、その目的は社員の意識を徹底的に活性化することである。(95ページ)
もうひとつの誤解は、クロス・ファンクショナル・チームを運営するには、参加するメンバーの質が均一で高く、運営のノウハウが必要なことである。
そのためには、トップの考える目標がはっきりし、全社員に行き渡っていることである。
文化や部署が異なるマネジャーを集めて作ったCFTは、当初メンバーに混乱をもたらすことがあった。
メンバーがこのような環境で働いた経験がなかったためであるが、ゴーンに言わせれば、企業は「地理的な境界」のような障壁に、必要以上に神経質になっていることが多い。
CFTはかってなかったほどメンバーを鼓舞し、メンバーは日産についての研究や議論を積極的に行なった。
その過程で、部門を超えて自由な発想をする醍醐味を知らされ、CFTがもたらす強力なインパクトを理解した。
まさに社内中から情報を収集し、ゴーンを満足させるようなアイデアの提案をめざし、社内から情報を収集する八面六臂の活躍だった。(109ページ)
計画の実行については、ひとつが社員の意識が変わり、改革に積極的に取り組もうという気運がみられた。
CFTで計画の作り込みを行なったので、5%を計画の策定、95%を実行に費やすように支持した。
もうひとつがモチベーションの問題である。
業績に応じて最高で年収の25%に相当する金額がボーナスとして支給される。
重要なのは、インセンティブが個人の責任と説明責任と、より密接に関係するようになったことである。
企業再生には、下記の3つの方法しかない。
日産リバイバルプランでは、1の『売上げの増加』は考えていない。
ただ、『日産180』では、意欲的な販売台数の増加が見込まれている。すぐれた製品は、すべての問題を解決すると。
2の『仕入れコストの削減』では、購買コストの削減が行なわれた。
これにはベンチマークによって、競合他社と比べて25%以上も割高な価格を支払っていたが明らかになっていたから、有効性が高かった方法である。
サプライヤーとメーカーの関係について、ゴーンはこう喝破している。
「サプライヤチェンからコストを削減しようとするときに、ネックとなるのはメーカー側の創造力、それにサプライヤーのコスト削減を後押しする能力の欠如です。
メーカーとサプライヤーの関係は静的なものだと考えられていることが多く、メーカー側が要求を出し、サプライヤー側がその可否を返答すると思われています。
しかし、実際には、メーカーがコスト削減の目標を提案し、しかる後にサプライヤーと現行のシステムから無駄な部分やコストを削減する方法を話し合っているのです。
両者が真摯に取り組む限り、このプロセスに終わりはありません。
このプロセスは、メーカー側にとってもサプライヤーにとっても挑戦なのです」
3の『費用の削減』では、人員の削減と工場の閉鎖が行なわれた。
日産は営業コストのなかから、生産とグローバル物流のコストを12%、流通コストを3%削減しようとしている。(259ページ)
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序 章 もの造り現場からの産業論 第1章 自動車産業における競争の本質 第2章 能力構築競争とは 第3章 なぜ自動車では強かったのか 第4章 もの造り組織能力の解剖学 第5章 能力構築の軌跡 − 20世紀後半の自動車産業 第6章 創発的な能力構築の理論 第7章 紛争 − 脇役としての貿易摩擦 第8章 協調 − 競争を補完する提携ネットワーク 第9章 欧米の追い上げと日本の軌道修正 第10章 能力構築競争は続く
1980年代にアメリカ自動車産業再生のために、アメリカ企業にない日本自動車メーカーの特徴を紹介した、自動車産業研究の第一人者である東京大学の藤本教授の集大成の本である。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の国際自動車研究プログラム(IMVP)の研究に参加し、アメリカ自動車産業に多大な貢献を行なった。
藤本教授は自らを下記のように書いている。
筆者は、いわゆる「技術・生産管理論」(TOM)を専門とする経営学者である。
技術・生産管理論とは、企業にある工場や製品開発において、いかにして生産性・品質・迅速性・柔軟性などのレベルを維持・向上させいてくかを考える、経済学の一分野である。
一口でいえば、開発・生産現場のオペレーションの経営学、あるいは「もの造り」の経営学である。(3ページ)
藤本教授が1980年代から1990年代にかけてアメリカに紹介した、日本の自動車メーカーの特徴がまとめられている。
それらはアメリカ企業にない日本自動車メーカーの特徴として、現場力やサイマルティニアス・エンジニアリング等を紹介している。
この本は題名に『能力構築競争』のあるが、藤本教授が書いているのは生産システムのみである。
その生産システムは、テクニックであり、テクニシャン(作業者)が全てである。
テクノロジーそのものについては、何も考慮していない。
開発力(テクノロジー)は、テクニシャンの技能が優れていれば自然発生的に出てくると考えているようだ。
ここが、藤本教授の極端な考えであり、短絡的な考えでもある。
日本メーカーのなかには、世界的にみてドイツ高級車メーカーに匹敵する総合商品力を持つメーカーが少数存在した半面、国際ランキングにおいて低位に甘んじた企業もまた存在したのである。
結局、総合商品力は1980年の段階ですでに個別企業の勝負であり、日本企業だからどうこうだといった分析はできないのである。
藤本教授は総合商品力を「表層の競争力」と定義し、その源泉を“強み”に求め、「深層の競争力」と言った。
藤本教授の考える「深層の競争力」はテクニシャンのテクニックである。
これと総合商品力の「表層の競争力」と対比するのは無理がある。
商品力の各側面をみると、日本車が特に弱い傾向があるとされたのは、外観・内装のデザイント、商品全体で一貫したメッセージを演出するブランドである。
日本車がEU市場で比較的弱かったのは、1つにはフランスやイタリアが事実上日本車に厳しい輸入数量規制を加えていたこともあるが、やはり欧州で重視されるデザイン力やブランド力の弱さが指摘できる。(74〜5ページ)
藤本教授の『現場の競争力が健在な割りに収益性が高くない』の命題は、直接因果関係のないものどおしを比較している。
藤本教授の言うところの『戦略構築力』は、藤本教授の認識の外にある全ての事柄を含んだものである。
そして、藤本教授は『戦略構築力』について、どのように強化すればよいか、その方向性すら書かれていない。
ところが1990年代に入ると、日本企業のなかに、国内不況と円高によって財務的に苦境に陥る日本企業がでてきた(日産、マツダ、いすゞ、三菱など)。
すでに述べたように、これら企業の「もの造り能力」はおおむね健在であった。
つまり、これらメーカーでは、依然として強い生産・開発現場の組織能力と、本社の「戦略構想能力」の相対的弱さとの間に、一種の「ねじれ現象」が起こっていたわけである。(251ページ)
藤本教授の考える『深層の競争力』、つまり生産システムの競争力をリードしてきたのは、トヨタ自動車であり、トヨタ生産方式であった。
しかしながら、藤本教授は日本の自動車会社一律にリーン生産方式を採用していると考えている。
藤本教授はトヨタ生産方式を「創発的なもの造り能力」として紹介している。全くそのとおりだと思うが、藤本教授はテクニッシャンを中心に考えているが、実際にはテクノロジーの能力の高さだと考える。
トヨタ生産方式には、創造性・イノベーションを重要視している。
藤本教授はアメリカ流のIEやマス・プロダクト、マス・セールスを志向しているように感じる。
何事か新しいことが起こった時、「これはわれわれの競争力の向上に役立たないだろうか」と考えてみる思考習慣を、従業員の多くが共有していることが、その組織の進化能力の本質的な部分であるようだ。(198ページ)
たぶんそれのほかに知識を文書化し、他に移転する能力があるのだろう。
トヨタ自動車は運が良くて大企業になったかもしれないが、能力構築は運の良し悪しではできないであろう。
しかし、製品開発や生産、購買の組織能力が根本的に劣化したために不採算に陥ったというようなケースは、日本の自動車産業に関する限りみられなかった。(82ページ)
製品開発や生産、購買の組織能力は劣化は、1980年代にアメリカの自動車産業が陥った問題であった。
日本でこのような問題は生じていないが、生産システムを維持するために、マーケティングや商品開発等の創造的な活動が犠牲になっている。
そのために、『戦略構築力』が犠牲になっている。
この本の中に『能力の過剰蓄積』という言葉がある。
能力構築競争は、ライバルの能力レベルがはっきり分らないまま進む水面下の競争であるため、エスカレートし、能力の箇条蓄積をもたらすことがある。
1990年代の日本の自動車企業が陥った「過剰設計症候群」は、その典型である。(282ページ)
藤本教授が考えている能力は、生産システムに対するものが全てである。
生産システムに過度に依存した状況で、『能力の過剰蓄積』や「過剰設計症候群」に落ち込んだ。
アメリカの自動車は1980年初めに、製品の革新性や斬新性に過度に依存し、製品開発や生産、購買の組織能力をおろそかにした。
その反省をMITの国際自動車研究プログラム(IMVP)の研究で行なった。
逆に、日本の自動車会社は、生産システムの優秀さに過度に依存し、マーケティングや商品開発等の創造的な活動を疎かにし、製品の革新性や斬新性を犠牲にした。
「過剰設計症候群」は生産システムに過度に依存した結果、引き起こされた現象である。
日本の自動車会社にとって重要だったのは、マーケティングや商品開発等の創造的な活動である。
顧客志向に関しては、マルコム・ボルトリッジ賞などが分担していた、顧客志向も重要であった。
1990年代の本田技研の川本元社長、トヨタ自動車の奥田元社長は、マーケティングや商品開発等に力を入れた。
その点、20世紀後半の日本の自動車企業は、もの造りの現場を主戦場とする能力構築競争と、それがもたらす「もの造り能力」や「深層の競争優位」に頼りすぎていた。
その分、本社の戦略能力を必死に高めようという誘因がやや欠けていたといわざるをえない。
もの造り現場を主戦場とする能力構築競争は、もの造り能力の切磋琢磨というプラスと同時に、戦略構想力の鍛練不足、というマイナスももたらしたといえないだろうか。(376ページ)
生産現場を主戦場とする能力構想力では、マーケティングや商品開発等の創造的な活動が十分に行なえるはずがない。
技術は形のある製品にしなければ評価されない。
技術は優れている企業が経営困難に立ち入っているケースは数多く見受けられる。
もの造り現場の能力は、企業の競争力の一部にしか過ぎないのである。
競争力の大部分は、戦略競争力にある。
生産部門が力を持つと、自分たちの開発計画、設備計画を実行するため、正しいマーケッテイグ情報を排除し、マーケッティング部門を阻害する技術偏重に陥ってしまう。
アメリカ産業向けに行なわれたMITの国際自動車研究プログラム(IMVP)の研究が日本に持ち込まれたため、技術偏重に陥り、困難な状態に陥った企業は少なくない。
一方、バブル経済の絶頂期にあった1990年前後の日本企業では、「もはや欧米に学ぶものなし」といった傲慢な意見が多く聞かれる傾向があった。
欧米マスコミの一方的な日本企業礼賛論・脅威論の影響もあったといえよう。
確かに当時、国際競争力の面で突出した「もの造りの達人」的な日本企業がかなりの数存在していたことは事実であろう。
しかし、国内で規制や保護に守られていた多くのサービス業・金融業を含め、日本企業の多くが、自社もそういった「達人企業」であるように錯覚したところに、大いなる誤解があったといえよう。
昔も今も、そうした「達人企業」は、日本の企業全体の一部に過ぎなかったのである。(305〜6ページ)
「もの造りの達人」的な日本企業は、生産システムの優劣のみを競争力と考えていないのである。
野中郁次郎教授の『知識創造企業』や『自己組織化』が行なわれている企業で、藤本教授の考えるモノ造りとは全く異なっている。
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