『カルロス・ゴーンが語る「5つの革命」』 長谷川 洋三著
2004年4月20日 講談社 1,680円
| 第1章 | 経営革命 − 危機の原因はトップにある! |
| 第2章 | “貧者同士の結婚”か? 最高の提携か? |
| 第3章 | “燃えさかる甲板”からの脱出 |
| 第4章 | ヒット車革命 − 創造的、大胆かつ情熱的なクルマをめざして |
| 第5章 | マーケッティング革命 − どこまで顧客の視点に迫れるか? |
| 第6章 | 人材開発革命 − 徹底したコミュニケーションと信賞必罰 |
| 第7章 | 異文化との共存革命 − 「違い」が力に変わるとき |
| 終章 | 成功する企業の条件 |
日経人ビジネス文庫の『ゴーンさんの下で働きたいですか』の著者が書いた本です。
多くの日本企業の参考になるように、5つの革命の視点から日産リバイバルプランを総括した本である。
『経営革命』では、日産自動車の問題は銀行が融資してくれないという財務の問題でなく、経営の問題と指摘している。
財務問題が起きるのは、多くの場合、何か具合が悪いことが起きた時です。
多くは経営のやり方に問題がある場合です。
私に言わせれば、経営の方法が悪い会社にカネを投下し続けるということは、カネを失いに行くようなものです。
事態を変化させずに、さらに多くのカネをムダに使うということは、事の本質を理解していないのと同じです(17ページ)
日産の再建に取り組むにあたって、一番苦労したのは従業員に危機感が感じられなかったことと言う。
敵となるのは、事態をなんとも思わない人です。
自分とは関係ないと思って、話しを聞かない人々が敵なのです。
興味があり、情熱を持っているから反対するのです。(22〜3ページ)
興味がないというのと、利益志向がないというのは似ている。
自分の仕事がほんとうに会社全体の利益になっているかどうかの疑問を持たず、結果どのような改革にも興味を持たないのである。
日本企業は、課長等のミドルが強いのが特徴です。
日本のモノ作り企業が強さを維持できているのは、ミドルアップ、ミドルダウンの力が強いからだと思う。
しかし、経営環境の変化が大きい時、会社が大きな危機に直面したり、方向転換するときには、トップダウンが必要である。
危機的状況では、リーダーが克服策を決めなければいけません。
危機から脱却するには、何を犠牲にするのか、何に焦点をあてるのか、選択肢が重要になります。
これはボトムアップではできません。(25〜6ページ)
また、日産リバイバルプランの本質を下記のように言っている。
われわれの目的はコアビジネス(本業)でない分野から資産を引き上げて、コアビジネスに対する投資に振り向けると同時に、負債を大幅に削減することです。
(69〜70ページ)
『ヒット車革命』では最初に、2003年10月21日に、日産自動車のアメリカ・ミシシッピ工場で行われた大型ピックアップトラックのタイタンの式典について書かれている。
このクルマは、カルロス・ゴーン氏が日産の社長に就任した2000年6月から計画された。
日産リバイバルプランの活動とは別に決められ、『350Z』の計画と合せて北米のマーケッティングの中心になった。
「アメリカのトラック市場は大きい、誰もが喜ぶようなトラックではなく、トラックに乗ることが本当に好きな人だけをターゲットにしよう」
「燃費を改善したり、高速安定性をよくするだけでなく、お客さんが口に出して言っていない潜在的な欲求を、丹念に引き出そう」 −。(101ページ)
日産自動車は中村史郎氏をデザイン本部長としてスカウトした。
われわれのめざす目標の1つは、日産のクルマに感情を埋め込むことです。
われわれは、素晴らしいエンジニアや専門家の力を引き留めるだけでなく、さらに目に見える情熱と興奮を加える必要があります。
日産のスタイルに電流を流し、まとまったものにしたのは、中村史郎です。(107ページ)
日産リバイバルプランが財務改革だけに終わることなく、もの作りの改革になったのは『マーケティング革命』があったからであろう。
製品開発において、絞り込みと一貫性を重視した。
ゴーン「大事なポイントなので付け足したいのですが、ターゲットの客を絞り込み、製品に一貫性を持たせますが、このターゲットが製品の最大の支持層になるとは限りません。
例えば、若者向けに開発した車を、実際には想定より高い年齢層が購入していることがよくあります。
理由はいたって簡単です。誰もが若い気持ちでいたいからです」
「だからといって中高年以上を対象に(若そうなものを)作ったりはしません。
狙ったターゲットよりも高齢の人が6割以上を占めると分っていても、『これは若者向けです』といって一貫性を持たせるのです。
それがターゲット客と主要顧客の違いです。」(146ページ)
販売会社はお客様との接点であり、自動車メーカーの目であり耳である。
お客様の意見を吸い上げるのがうまくなったという。
同時に、地域地域で異なる慣習や商圏に対して、お客様対応に独自の工夫が求められている。
日産の調査によると、顧客の3人に1人が、営業担当者や店長との関係も考慮に入れてクルマを選んでいる。
国内の年間の全体需要が軽自動車込みで約600万台として、うち200万台が、人との触れあいや人間関係を重視して決まっているということだ。
集客力の向上をめざし、モチベーション(士気)の高い、優秀な営業担当者を育成し、顧客との良好な関係を構築する必要を物語っている。(136ページ)
自動車産業の総流通費は高く、流通コストは購買コストに次いで2番目に大きい。
流通コストは、クルマを工場から出荷した時点から、顧客の手元に届くまでに発生するコストの合計額である。
現在、日本の自動車業界では、クルマの価格の25〜30パーセントを、輸送費や販売費、ディーラーマージン、マーケッティング費用、広告宣伝費などの総流通コストが占めている。
自動車メーカーと販売会社の営業利益率は、世界のどこでもそれほど高くない。
ほとんどの場合、販売会社の売上高営業利益率は、1〜3パーセントにとどまっている。
それだけに、今後もしっかりとした売上高営業利益率を確保し、将来のための投資を行なっていく必要があるという。
日本自動車販売協会連合会によると、新車の間接費は1台あたり30〜40万円で、うち半分が労務費だ。
販売台数が低迷している中、販売会社の営業利益率は低いものの、改善の余地はある。
「改善点の1つは従来の販売方法です。私どもの経験によると、訪問販売は非効率になりつつあります。
お客様の約7割が、店舗に出向いて商談を始めています。
現在、販売会社は、個別訪問から店頭での商談に移行する転換期を迎えています」 −。ゴーンは強調した。(137〜8ページ)
従来、販売奨励金として販売会社にしか配賦されなかったが、ゴーン氏は店長のボーナスも増額した。
難しい仕事にチャレンジさせ、それをこなす中で、将来の経営幹部となるハイポテンシャルズ(ハイポ=将来性のある人物)は育っていきます。
われわれは、彼らをサポートするのではなく、コーチ役を務めます。
成功するかどうかはあくまで彼らのがんばり次第です。(168ページ)
『異文化の共存革命』は、異文化の有利さを下記のように説明している。
私は、日産に来る以前から、マルチカルチャーの環境はチャンスだと言い続けてきました。
なぜか。人は人であれ、言語であり、芸術であり、歴史であり、違いに触れることによって学習するからです。
相手との違いについて自問自答することによって、自分自身を見つめ直すことができるのです。
『日産らしさ、ホンダらしさ』(製品開発を担うプロダクト・マネジャーたち)
長沢 伸也・木野 龍太郎著 2004年1月20日 同友館 1,800円+税
| 第T部 | 日産の製品開発 |
| 第1章 | 日産のプロダクト・マネジャーの役割 |
| 第2章 | 日産のプロダクト・マネジャーの資質 |
| 第3章 | ゴーン体制での製品開発体制 |
| 第U章 | ホンダの製品開発 |
| 第4章 | ホンダの製品開発プロセス |
| 第5章 | ホンダの製品開発と企業文化 |
日産自動車もホンダも、他社は関係なく、うちはうちらしいクルマを作ると主張している。
だが、この本はデザインそのものについて日産らしさ、ホンダらしさを書いた本ではない。
クルマの開発のやり方について日産らしいやり方、ホンダらしいやり方を、プロダクト・マネジャーの視点から見た本である。
クルマの製品開発について、プロダクト・マネジャーに焦点を当てた研究は既に下記が有名である。
クルマを初めとして多くの製品で、製品の首尾一貫性(product integrity)が競争の焦点になってきている。
この一貫性を確保するために、部門横断的な権限が及ぶ重量級のプロダクト・マネジャーの役割が重要になっている。
トヨタ自動車の開発主査(現在は、チーフエンジニア)を中心に研究されたものである。
重量級のプロジェクト・マネジャーは、一般に組織内でも地位が高く、各部門の長と同格かそれより格上ということも多い。
必要があれば実務担当エンジニアと直接接触し、フォーマルな権限がなくとも、プロジェクトに関係する全ての部門や活動に対して直接・間接に強い影響力を行使する。
また、製品プランニングやコンセプトの創出にも責任を持っている。
1980年代の自動車企業において好業績を収めた企業は、重量級プロダクト・マネジャー(商品開発本部主管)を採用していたと書いている。
それと対照的な軽量級プロジェクト・マネジャーの開発では下記のようになる。
同社(日産自動車)のプロダクト・マネジャーは、1970年代末までは軽量級にとどまっていた。
1980年代初めには、製品プランニングや部門間の調整において若干大きな役割を持つようになってきたが、外的統合(コンセプト創出)は、依然として問題があった。
まだ製品コンセプトが構想段階にある、製品開発の極めて初期の時点において、販売部門や経営首脳陣の意見に妥協してしまう傾向があった。
さらに、ユーザーとの直接的な接触の機会を十分に確保せず、短期的な競争圧力に振り回されて明確なコンセプトを持てずにいた。
また、開発部門と製造部門の間のコミュニケーションと調整の程度が、日本のメーカーとしては低く、設計の製造性に時々問題が生じていた。(12ページ)
1980年代に実施された大幅な組織改革では、3つのプロダクト・マネジャー部(商品開発本部)が創られ、強力なプロダクト・マネジャーを擁し、商品開発が行なわれた。
しかし、プリメーラ、シーマ、セフィーロ等で成果はあったものの、プロジェクト・マネジャーに負担がかかり過ぎ、成果にバラツキが出てしまった。
重量級プロダクト・マネジャーの問題点を下記のように指摘している。
- 職務範囲が非常に広く、職務内容全てをこなすことの難しさ
- 職務範囲が非常に広いことで、責任の範囲が曖昧になっていること
- 権限が集中しており、製品競争力がプロダクト・マネジャーの能力に大きく依存している
1999年のルノーとの提携により、重量級プロジェクト・マネジャー導入から一転して、複数のプロジェクト・マネジャーの集団体制が導入された。
新たな製品開発体制は、製品を6つのグループに分け、それぞれにPD(プログラム・ダイレクター)が配置されている。
商品主幹の能力に大きく依存する体制から、会社全体のパワーを効果的に活用し、製品競争力を高める体制に移行していった。
PDは収益確保に責任を持ち、商品企画、開発、販売・マーケッティング、デザイン、製造、購買の6部門の動きを監視する。
PDは本来社長が管轄するが、現在はペラダ副社長が管轄している。
- CPS(チーフ・プロダクト・スペシャリスト)・・・・・・商品定義と商品競争力の保証(お客さんの立場を貫く)
- CVE(チーフ・ビークル・エンジニアリング)・・・・・・商品コンセプト・開発目標の具現化とQCDの達成
- CMM(チーフ・マーケッテング・マネジャー)・・・・・・商品の市場導入
- PCD(プロダクト・チーフ・デザイナー)・・・・・・デザインの開発と訴求
商品主幹の能力に大きく依存する体制から、会社全体のパワーを効果的に活用し、製品競争力を高める体制に移行していった。
プロダクト・マネジャーの権限が分散され、職務範囲が狭くなったが、職務に対する責任が明確になり、より高度な内容が求められる。
CPSは商品主管がなることが多く、CPSがクルマの統合性を確保しているものと考えられる。
日産自動車の製品開発が良くなったと評価を受けているが、上記の制度変更だけでないように思う。
ひとつが、デザイン重視のクルマづくりへの経営戦略の変更である。下記を反映したものである。
車に対する購入動機としては、車屋はいきなり性能から入りますが、一般のお客様はイメージ、デザイン、次は内装、装置の順番で車を見ている。
動性能(走り)の多少の違いはお客様にとっては影響度は小さいと思います。(42ページ)
今まで商品企画は、開発・設計部門と同じ部門で、開発部門出身者がトップでした。
デザイン本部もそこに入っていました。デザインと企画を開発部門から切り離し、完全に開発部門と分けた。
デザインを強調することで、『顧客指向』と『製品の首尾一貫性』を重視した製品開発体制をとった。
もうひとつは、会社(組織)が変わったから製品が変わったということです。権限や職務範囲にとらわれず行動できるようになったと思う。
主管には他部門に命令する権限はない。
しかし、権限なんて自分たちで作るもので、与えられた権限だけで仕事をするサラリーマン的なやり方では、車の開発はできない。(57ページ)
ただ、ゴーン社長もペラダ副社長も、会社がどうやって成り立つのか、どうやれば収益が上がるのかというメカニズムを非常によくわかっている。
製品開発はこの2人が直轄している。今後、2人に替わる人材が育つかが大きな課題になろう。
ホンダの製品開発は、ユニークな面を多く持っている。
製品開発は本田技術研究所、生産販売は本田技研工業と分けている。
そして本田技術研究所は、一部の役員以下、全て横一線の同一ライン上にある文鎮型組織を採用している。
R&Dについて、研究(Research)と開発(Development)を完全に分離していることである。
研究では、技術要素の基本的な耐久性・信頼性・性能などを長期的に評価し、総合的で革新的な技術として完成させることを目的としている。
開発した技術はプールされる。
開発では、プールされた新技術をもとに、社会や顧客ニーズに応えた商品づくりを進めている。
ホンダの製品開発は、プロダクト・アウト的な要素が強くなる傾向にあったと言われている。
その是正のために、10年前頃からSEDチームという、営業(Sales)、生産(Engineering)、開発(Development)が一緒になったプロジェクトチームで開発を行なってきた。
このリーダーとなるのが、RADと呼ばれる開発総責任者である。
実車の開発を取り仕切るのが、LPLと呼ばれる人物である。
LPLを中心とした本田技術研究所の開発チームが、実際の製品コンセプトを練り上げていく。
RADからは大枠の商品コンセプトしか提示されず、実質LPLが提案する形となっている。
フィットについての開発について書かれている。
フィットは欧州を中心に発売することが念頭に置かれていた。
1997年末に、フィット開発メンバーが6名が集まり、欧州市場(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン)の視察を行なっている。
ここでは、昼間に個人宅や自動車販売店を訪問、スーパーマーケットや蚤の市を観察、夜は自動車関係の雑誌、書籍を購読することで、欧州市場についての理解を深めることが行われた。
企画では、まず自動車のパッケージを決めることから始まる。
パッケージとは機械の部分や人間の居住空間をどれくらい取る必要があるのか、荷物のためのスペースをどれくらいとらないといけないのかである。
パッケージが決まることで、自然に外の寸法も決まる。
フィットの開発に際して、最大限の居住空間と多目的に使用できるシートアレンジを追求するために、通常リアシートの下部に配置されている燃料タンクを、フロントシートの下部に配置した。
センタータンク・レイアウトと呼ばれている。
パッケージが決まった後、デザインの作成に移る。
デザインについても、本田技術研究所において評価会が行なわれ決定される。
デザインの方向が決まれば、設計部門や生産技術部門とも調整して企画を作り、SED各方面のトップによる評価会が開催され、それにパスすれば実際の開発・設計に移る。
ここまでの部分については仕込みと呼ばれ、フィットの場合は約2年半ほどの期間を要したとされる。
企画が評価会をパスしてから、実際の開発段階に移ることになる。
ただ、フィットの最大の成功要因は、価格にあると言われている。
価格に厳しいBセグメントで、125万円の売価で開発したクルマを115万円という10万安く売ったことが、成功をより大きくしたといわれている。
製品の統合性を確保するために、メンバーに共通に意識を持たせるための工夫も行なわれている。
スカイラインの生みの親である桜井真一郎氏の話しが載っている。
車を作る時には、作る人間が大事だ、担当を集めて、車の考え方そのものについて物語を自分で作ってみろと、イメージを植え付け、同じ方向に向かわそうとした。
また、ホンダでは『かっこ良さMAX』等のキャッチフレーズが多い、これも開発メンバーを同じ方向に向けるための仕組みと考えられる。
自動車関連の本の紹介(目次),
1989年以前,
1990年から93年,
1994から95年,
1995から97年,
1998年,
1999年,
U,
2000年T,
U,
2001年T,
U,
V,
2002年T,
U,
V,
2003年,
U,
V
2004年