自動車産業関連の本の紹介(2004年以降)


『俺は、中小企業のおやじ』 鈴木 修著  2009年2月23日
日本経済新聞出版社  1,700円(税別)


 第1章  ピンチをチャンスに変える 
 第2章  どん底から抜け出す 
 第3章  ものづくりは現場がすべて 
 第4章  不遇な時代こそ力をためる 
 第5章  トップダウンはコストダウン 
 第6章  小さな市場でもいいから1番になりたい 
 終 章  スズキはまだまだ中小企業 

 (株)スズキは、連結売上高3兆円を超える企業に成長したが、良くも悪くも中小企業的な面を多く残している企業である。 それはトップダウンでものごとを決めてきて、社員が育っていないことを痛感している。 社員の育成のためにも、鈴木社長がどのように考え、決断してきたかを書いた本である。 それだけでなく、日本経済そのものが元気にならなければクルマも売れないので、日本経済に対する応援歌でもある。

 この本を読んで最初に感じたのは、鈴木修社長の財務感覚がしっかりしていることである。
 まず最初に、後知恵でキャッシュフロー経営などと言ったら怒られるだろう。 儲かった範囲で投資を行なって、利益を見込んで大型の投資を行なってこなかった。
 販売会社の社長に「会計の基本は2つポケットだ」とよく言いました。・・・(中略)・・・ ある青果店のおやじさんから聞いた、こんな話がヒントになつています。・・・(中略)・・・ 店ではいつも、おやじさんは、右と左に1つずつ、2つのポケットの付いたエプロンをしていました。 たとえば今日仕入れてきたものが10万円なら、売上が10万円になるまでには「右のポケット」だけにおカネを入れてしまっておくのです。 売り上げが10万円を超えたらはじめて、超えた分のおカネを入れるようにしていました。 なぜ、こんなふうに2つのポケットに分けるのか。それは「売り上げと儲け(利益)は違う」ということがわかっているからです。(42ページ)
 投資は3年で元をとることを原則としている。大型の機械の償却期間は10年であるが、税金が出ても償却している。 そのため、3年で元がとれなければ設備投資しない。
 また、販売店への売掛金に対してタンポを取ったのは、鈴木社長である。

 鈴木社長の経営の次に大きな特徴は、事業性に見込みがない時にはスパッと切り捨てることができることである。 埋没コストとかサンクコストと言われている問題である。 見込みのない事業であっても、面子のために後追いで資金を投入し、全てを失うことである。 偉大な経営者であっても、サンクコストの問題を引き起こすことがある。
 スペインの現地会社を買収したが、見込みがないとわかると、あっさりと撤退した。 最近ではより大型のクルマ「KIZASHI」の生産直前での撤退がある。 この次に機会があれば、書いてもらいたいと思う。

 「ものづくりは現場がすべて」と考え、ほったらかしにせず、年に1回工場監査を行なっている。 丸一日かけ、工場の隅から隅まで自分で歩き、ムダがないか目を光らせるのである。
 大勢でぞろぞろ回るといっても、決められたコースを歩く大名行列ではありません。 気になる生産ラインでは課長や現場の組長、班長の説明を聞き、それでも納得できなければ、そこで働いている従業員をつかまえて話をします。 天井を見上げて「あの蛍光灯は必要なのか」と聞いたり、機械と機械の間の1メートルほどの隙間を見つけて、「このスペースは遊んでいる。半分にしないとダメだ」と言ったり、ときとして想定外の問いかけに役員たちがあわてることも少なくありません。 別に彼らを困らせようとしているのではありません。 単価の安い軽自動車メーカーが生き残るには徹底してコストダウンが必要です。(95ページ)
 工場にはカネが落ちいてる。 「小少軽短美」をスローガンに小さく、少なく、軽く、短く、美しくを実践している。

 鈴木社長は経営者と優れているだけに、若いときは自己主張も強く、人とぶつかることも多かった。 このエピソードをおもしろ、おかしく書いてある。


『ホンダの価値観(原点から守り続けるDNA)』 田中 詔一著  2007年12月10日
角川ONEテーマ21(C-141)  686円(税別)


 第1章  経営者の「引き際」とは何か 
 第2章  ホンダの異端伝説 
 第3章  歴代6社長と企業理念 
 第4章  国境を超えた世界戦略 
 第5章  海外駐在でのビジネス学 
 第6章  社会人としての生き方 

 ホンダは一般に思われているようなやんちゃで華々しい企業ではない。いたって真面目で、慎重な企業だ。 ホンダが60年にわたり成長を続けてきた真の理由は、創業者の理念(フィロソフィー)が時代を超えた普遍性を持っていたことに尽きると考えている。 そのフィロソフィが受け継がれたのは、創業者の本田宗一郎さんと、彼のパートナーの藤沢武夫さんが、タイミングよく、一緒に退任したことと考えている。 人は年をとれば、それに従って頑なな態度をとる事も多く、好き嫌いで人を評価することも多くなる。 タイミングよく退任したことによって、それらの難を免れた。
 その後を受けて、若干45歳で社長に就任した川島喜好さんが、10年後の55歳の若さであっさりと退任した。 この時点で、ホンダのDNAは形成されたと考えられる。

 ホンダについて多く書かれた本がある。 「松明は自分の手で」、「桑の根っ子を引き抜くな」、「得手に帆あげて」等のフィロソフィーをそれぞれの社員が活用できるベレルの話しで補っている。 ホンダのレース好きは、相手と同じモノを作っても勝てない、勝つことに執着するのに役立っている。 また、農機具や発電機向けの汎用品と言われるエンジンを作っていることは、価格競争の厳しさを身に感じるためである。

 技術屋のみが華々しい活躍をしていると見られがちであるが、技術のホンダを支える「文系軍団」の存在があると考えている。 「悪魔は細部に宿る」ということにことさら気を付けている。

 著者はホンダに入社して、戦地ベトナムへも赴任したことがある。 現在では、労働組合との協定によって、戦地等の危ない地域へ社員を赴任させることはなくなった。 しかし、現在では本人が希望してもそれらの危険地域には行けなくなっている。 自由闊達な空気が少なくなり、残念でもあるのではなかろうか。


『スズキのインド戦略』 R.C.バルガバ著  2006年12月16日
(株)中経出版  1,500円(税別)


 第1章  インド最大の自動車メーカーになった「風の神」マルチ 
 第2章  人をつくる、組織をつくる 
 第3章  インドでクルマを売るということ 
 第4章  部品メーカーを育てる − インドのものつくり 
 第5章  販売・マーケティング − 「インド市場」の実像 

 2004年、米国の投資銀行ゴールドマン・サックスはリポートの中で、ブラジル、ロシア、インド、中国の4ヵ国を高度経済成長権として取り上げ、それぞれの国名の頭文字からBRICsと名づけた、

 そのインドで自動車市場の半分以上のシェアーを獲得している企業がマルチ・ウドヨグ社である。 現在でこそ、インドは自動車ブームとなり、世界中から多くの自動車メーカーがやってきている。 今から20数年前に、(株)スズキはインドで合弁会社を立ち上げた。 最初は、インド政府が株式の過半数を握る状態から、その軋轢が日本でも報道されていた。 マルチ・ウドヨグ社は初年度から黒字を達成したが、スズキは7年を経てやっと黒字となったという。 その結果として、ズズキはインド政府の信頼を得て、スズキがマルチ・ウドヨグ社の株式を買い、過半数の株式を保有するに至った。

 スズキのインド戦略の成功の鍵はお互いのパートナーシップあったと書いてある。 パートナーに恵まれたこと、つまりお互いに成長し合う関係を築き上げられたことが成功につながったと書かれている。

 インディラ・ガンジー首相の次男であるサンジャイ・ガンディ氏が設立し、国有化されてマルチ・ウドヨグ社になった。 サンジャイ・ガンディ氏は1980年に飛行機事故で亡くなっていた。
 当初の計画では、中型セダンの「ルノー18」を生産する計画であった。 しかし、市場調査の結果、小型で安価、低燃費の自動車が必要との結果が出た。 そのために、スズキとの提携を進めることになった。 インド人ユーザーの真のニーズを客観的に捉え、かつそれを的確に満たそうと努めたことがマルチの成功の大きな要因のひとつになった。

 工場に導入する製造設備の選定や、生産ラインなどのレイアウト、操業手順、保守計画、品質管理システムなどの技術的側面に関して、マルチはスズキで採用されているものを、ほぼそのままの形で導入した。

自動化だけは日本よりずっと低いレベルにとどめておいた。 スズキ側は完全な非自動化は適切でないとして、コンベアといくつかの自動制御機器をいくつか導入した。 将来の自動化に対する備えをしたわけである。

 インドでは公共セクター、民間セクターを問わず、労働者は通常、個人の人間的成長やキャリアアップは企業の発展とは関係なく、割り当てられた業務の遂行のみが義務と考えている。 自分が直接関係しない業務についてはひとかけらの責任感も感じていない。
 労働組合や労働者は、会社の支払い能力について考慮することなく、自分たちの要求を突きつけてきた。 経営者と労働者は通常、敵同士であり、お互いに不信感を抱いてコミュニケーションをとることもまれだった。

 この責任は、会社のオーナーや経営者にある。 無秩序と低生産性は、不適切な経営の結果として生じる。 従業員は会社の一員であり、会社の業績が上れば自分たちにも利益が還元されるということを理解させなければならなかった。 マルチにおける基本姿勢は、経営陣が常に従業員を教育し続けるというものだった。 変革には時間がかかる。 第二に、変革の基礎になるのは教育と質の高いコミュニケーションである。

 そのため、マルチでは教育と訓練に力を入れた。 多くの技術者や管理職、職長クラスを日本に派遣した。 スズキの研修プログラムには、移転が必要とされる技術だけでなく、日本の文化、習慣、そして経営システムまでが盛り込まれていた。

 農村部から採用された従業員は、産業界における厳しい競争について知識など、微塵も持ち合わせていなかった。 まして、技術や生産性や、質、顧客サービス、会社への貢献については考えたことさえなかった。 事業拡大や工場の近代化のためには利益が必要ということも最初は理解されなかった。

 マルチの幹部たちが従業員に対してやろうとしてきたのは、単に機械操作を教え込む程度だった。 後は自分に与えられた地位を傘に着て規則の遵守を強圧的に迫るだけで、その必要性を説明することなどは二の次だった。 まして従業員に協力を求めることなどは彼らにとっては問題外だった。

 その一方で、政治的な目的を持った労組の指導者たちは、マルチの社員でもないのに、組合員の支持を得るためにあらゆる人気取りにでた。 もし組合員が、長期的展望にたって企業の繁栄を考えている経営陣と協力すれば自分たちの生活も豊かになるということを理解してしまったら、組合の指導者たちは自分たちの存在が危うくなると思い込み、組合員を無知のまま放置しておく方法をとったのである。

 マルチの社員が自社の経営に興味を持つまで、辛抱強く教育し、経営に不可欠な従業員からの信頼を得た。


『一生懸命って素敵なこと』 林 文子著  2006年1月20日
草思社  1,200円(税別)


 第1章  私がダイエーでやっていること
 第2章  幼い頃から人が好き 
 第3章  トップセールスマンへの道 
 第4章  経営の要点は“人”である 
 第5章  女性の力が企業を活性化する 

 著者の林 文子氏は(株)ダイエーのCEOを経て、現在は取締役副会長で、企業再生を行なっている。 この本はもともと女性に対して、エールを送っている本であろう。 本の趣旨は逸れるが、著者のホンダ、BMW、VWでのトップセールスや社長経験を通じて、販売の問題をクローズアップさせたい。

 林さんにあこがれて、自動車のセールスをする女性もいるようだが、林さんの100件訪問をマネするだけで、ほんとうに大切なことを理解していないように思う。 林さんは『おもてなし』という。 これは『クルマを売り込む前に、自分を売り込め』という言葉と同様にあいまいである。 しかし、『おもてなし』というキーワードの鍵は、この本のなかに散りばめられている。
 このシビックを買うときにお世話になったセールスマンが、私の人生を大きく変えるきっかけとなった。 その男性は実直でいい人だったが、大変おとなしい人で、客である私たちの気持ちを弾ませるようなことは何ひとつ言わない。(76ページ)
 『客である私たちの気持ちを弾ませる』というヒントが隠れている。 それまでのセールス、今も古い体質が受け継がれている販売店もあるが、まず入ってきたお客様の品定めを行なう。 新車を買いにきたお客様か、サービスに来たお客様か。 サービスに来たお客さまはすでに他のセールスマンのお客様であり、いくら親切にしても自分からはクルマを買うことはないと考える。 挨拶をするのさえ無駄だと考えてします。
 ただ見に来たお客様か、買いに来たお客様かを見定める。 買いに来たお客様なら、真剣に対応する。 その上で、挨拶もそこそこに、いきなりカタログを出し、スペックの説明をする。 クルマの機械の説明を延々とやりだして、その方がどんな方かなど全く関心がない。 クルマを買ってくれるかどうかだけが問題なのである。

 林氏のおもてなしは、まず自分がどんな人間か知ってもらって、お客様に尽くして、やっとクルマの話を聞いてもらった。 ホンダの店でセールスを行なうときに、訪問販売を指示されたが、誰も教えてくれない。 トヨタのトップセールスの椎名保文さんの本の『一日百件訪問した』をマネした。 ただ、単に一日百件訪問をマネしただけでなく、御用聞きという林 文子さんで考えた工夫を結びつけた。

 セールスで必要な資質は、『お客様の素敵な部分をクローズアップしてお話をすることであろう』ことであろう。 これはクルマにも言えることである。 どこにも欠陥のない八方美人的なクルマはない。 セールスマンは、そのクルマの素晴らしいところをいかに伝えるかが重要になってくる。 小さなお子様をいらっしゃる人には、色々なところを訪問したときは良いところをひとつは見つけ出す練習をしていれば、将来の人生にプラスになるだろう。

 クルマにかぎらず、結局、モノを買うときというのは、すべて最後は感情なのだと思っている。(133ページ)
 このことは非耐久、耐久にかかわらず、消費財に特に当てはまると考える。 ライバルのクルマを否定しないのは、お客様の感情を考えてことである。 同じく契約後フォローをするのは、お客様が間違った判断をしたとの感情を防ぐためである。

  私は、お客様を見ると、そんな方はどんな人かなと考える。 どういう性格の方かな、どういうところにお住まいなのか、お仕事は何だろうかと興味が湧くのだ。(170ページ)
 そこから、お客様が望んでいるものがわかってから、クルマの話が始まるのである。 お客様の望んでいることと、クルマの素晴らしい点を結びつけ、五感に通じて感情に訴えるのである。 商談をするというのは、嘘ではなく、本心にちがいないのだが、少し虚実ないまぜというところがあると書いている。

 ただ、セールスマンとのフィーリングが合うかどうか、そのへんで決まることが多いと書かれている。 誰しも考えることではあるが、『フィーリング』という言葉は非常にあいまいである。 クルマは性能を出すためのロジックがある。 このロジックが、どう感情に結びつくかという点を『フィーリング』という言葉で置き換えているのではないかと推測する。

 BMWの場合で言えば、BMWアカデミーという学校があって、セールスの基本はそこで学ぶことができるようになっている。 ホンダのときも、既納客を保持するプログラムがある。 顧客は個客であり、マニュアルどおりにはいかないのである。 実は、高いコミュニケーション能力を必要とするのである。


『実践 日産生産方式キーワード25』 日産自動車(株)NPW推進部著  2005年5月20日
日刊工業新聞社  1,600円(税別)


      はじめに 
  T   NPWの概要−特徴と考え方 
  U   キーワード25 
      モノと情報の流れ改善 
      付加価値生産の追求 
      現場管理・基盤強化 
      特徴的なNPWの評価ツール 

 『本書は、「日産生産方式(Nissan Production Way)」の考え方と実践手法について、日産自動車株式会社のNPW推進部の手によって、できるだけ平易にまとめられたものである。
日刊工業新聞社発行の月刊誌「工場管理」2005年3月臨時増刊号として発刊されたが、大変多くの方々に読んでいただき、売り切れの状態となったため、今回単行本として刊行されることになった』
と書かれているとおりの本である。

 日産生産方式は、日産リバイバルプランによって大きく成長した。 ひとつが顧客志向が強くなったことである。
 生産するクルマは既受注車と受注見込み車に限定し、無駄な在庫車を持たない。 このことがマーケティングの機能が正常に働くようになった。

 もうひとつが自動車工場全体としての改革である。 このことに自動車工場を俯瞰的に見ることができるようになった。
 生産順序時間確定生産によって工場全体を管理している。 車体溶接、車体塗装、車両組立の生産順序を守り、販売店での納車までの期間を短縮した。 ボディの仕掛在庫を持ち、生産順序時間を遵守することは易しい。 そうではなく、工場内における検査や手直し等のはみ出しをなくし、生産順序と生産期間を短縮した。
 トヨタ生産方式では、在庫を減らすことで生産方式を強化している。 自動車工場全体では在庫のカウントが難しく、部品会社の方が向いていると思われる。 これに対して、日産生産方式は生産順序と生産時間は管理しやすい。 生産順序と生産時間の短縮は、高い生産管理能力を要求している。

 日産自動車は、2008年に日産リバイバルプラン以後初めての営業赤字を計上した。 日産生産方式はよくできているが、それだけでは十分でなかったのであろう。 コストと品質に対して個別に対応しても限界がある。 コストと収益(顧客から見た付加価値)の対応を考えなくてはならない。 そのためには、まず顧客志向を強めなくてはならない。 次に、費用とコストの関係を明白にし、顧客満足の高い装備を絞り込まなくてはならない。

 売れなくなるとクルマのコンセプトを次々に変えて、お客様を困惑させている面もみられる。 これに対しては、コンセプトを変えず、正統進化の技術を持たなくてはならない。
 最後に、増大する設備投資や改善のコストをどう押さえ込むかである。 生産には予想外の事態も多く、無駄になる設備投資がどうしても出てくる。 そのために、常日頃から設備投資は抑え気味にしておく必要があると考える。


『最強トヨタの自己改革』 福田 俊之著  2004年11月10日
角川oneテーマ21(C-84)  686円(税別)


 序章    
 第1章  トヨタ流の世界戦略 
 第2章  伝説のクルマ「マークU」の歴史 
 第3章  変わりゆく日本の自動車市場 
 第4章  新型車「マーク]」の登場 
 第5章  原点からの挑戦〜「マーク]」プロジェクト 
 第6章  組織イノベーション 
 第7章  事業部制の広がり 
 終章   巨大企業の歴史 

 10代目となる「マーク]」の開発プロジェクトを通して、トヨタの自己改革の様子を書くことを目的の本らしい。 実際には、「マークU」の歴史を記述してものになっている。 1980年代のバブル時代には、ハイソサカーとしてもてはやされた「マークU」は、その後ポジショニングに苦労している。 「いつかはクラウン」の言葉どおり、風格を求めるお客様はクラウンに行き、スポーティさを求めるお客様はBMW等の輸入車に向かってしまった。

 「マーク]」の開発陣は、クルマの楽しみは走りにあるはずで、それにはセダンが一番と考えていた。 しかしながら、BMW等の輸入車と比較して、訴求点が不足していたようである。 ただ、自動車開発に対して、おもしろい項目も見られる。

 張氏にとつても、マークUは思い出に残るクルマでもある。・・・(中略)・・・ 「どこまでも地の果てが続くアメリカ大陸を突っ走るにはとっても快適だったが、マークUはFR車ですから、道の悪いアメリカの田舎ではなかなかのじゃじゃ馬でね。 雪が降った時など、スピンしたりしないように必死になってコントロールしながらドライブを楽しんでいたなあ(笑)」(29ページ)
 初代コロナを米国に輸出したときは、センターコンソールの蓋が割れるというクレームが続出した。 日本で開発を行っていた天野氏はその話を聞いて、蓋をねじったり乱暴に開閉してみたが、いくらやっても割れず、原因がわからなった。
「そのときはまだ現地に行けなかったんですが、駐在していた人に聞いてみたら、どうやら米国ではセンターコンソールの上に大きなお尻の女の子がどっかりと座ったりするということでした。 それで、カップルで肩を抱き合いながら運転したりしているんですね。 アメリカに行ったときは、当時の日本では理解できない習俗を目の当たりにしました(笑)」(37ページ)
 初代カローラのエンジンを手がけていたのは、初代マークUの主査も務めた天野益夫氏だった。 天野氏は、当時を振り返って語る。
「カローラの開発は本当に大変でした。開発もあらかた終えて、いよいよ量産に入るという段階で、突然役員室に呼びつけられました。 何だろうと思って行ってみると、当時常務だった豊田章一郎さん(現・トヨタ自動車取締役名誉会長)が 『日産が1000ccの大衆車を開発していることが判明した。そこでカローラのエンジンを1100ccに改設計してほしい』と言う。
私は『カローラのエンジンは1000ccで十分性能が出るように作ってあります』と説明したんですが、エンジニアでもある章一郎さんは 『技術的に1000ccで行けることはわかった。だが、今回は何とか1100cc化してくれ。経営戦略の問題なんだ』と言いました。 それからは発売に間に合わせるために、突貫工事で生産設備から何から作り直しましたよ」

ほぼ同時期にデビューしたカローラとサニーだったが、販売面では“プラス100ccの余裕”をうたったカローラの勝利に終わった。(71ページ)
 やはり、トヨタの技術陣はすばらしかった。


『組織は戦略に従う』 アルフレッド D.チャンドラー,Jr著  2004年6月10日
ダイヤモンド社  5,250円


 序章   戦略と組織 
 第1章  歴史的背景 
 第2章  デュポン 
 第3章  ゼネラルモータース(GM) 
 第4章  スタンダード石油ニュージャージー 
 第5章  シアーズ・ローバック 
 第6章  組織イノベーション 
 第7章  事業部制の広がり 
 終章   巨大企業の歴史 

 この本は1962年に『戦略と組織』(Strategy and Structure)として出版された本の再翻訳である。 チャンドラー氏の有名な言葉である『組織は戦略に従う』という題名にしてある。

 チャンドラー氏は、デュポン、GM等の企業研究を通して、組織改編の研究をした。 需要の現象を契機にして、企業は多角化に向かわざるを得なくなる。 そこで集権化か分散化という問題に突き当たる。 チャンドラー氏は、プランニングの集権化と実行の分権化という総合本社と分権化職能組織を導きだした。 これは今でも通じる組織の考え方である。

 1962年に書かれた本が今翻訳され、それを紹介するのは、そのまま現在の日本企業に使えるからである。 使えることを証明したのは、カルロス・ゴーン氏で、日産の改革でプランニングの集権化と実行の分権化を行なった。 ただ、クロス・ファンクショナル・チームというマトリックス組織で補助している。

 多くの日本企業は、経営委員会の取締役は出身部門の利益代表となり、全社的な視点で考えていなかった。 他部門の業務を精査する立場になく、まして自部門の業務を分析し、全体に合せて効率化することもなかった。 分権化された職能組織は、プランニングから実行まで行われていた。 プランニングは、各部門の力関係と取り引きで決まり、責任を持って実行されることはなかった。 この状態を称して、頭脳がなく体が勝手に動いている状態と称されている。

 カルロス・ゴーン氏は経営委員会のワーキング・グループの立場にある、クロス・ファンクショナル・チームに全社的視点で考え、施策を考えさせた。 クロス・ファンクショナル・チームを通して情報を収集し、『優先順位とガイドライン』を作った。 この『優先順位とガイドライン』に沿って、クロス・ファンクショナル・チームは日産リバイバルプランを作り上げた。 実行は既存の分権化された組織に委ねられた。

 GMの創始者のデュラント氏は、自動車は将来もっと売れるだろうとの予測のもと、自動車メーカーや部品メーカーを買収して拡大路線を走った。 需要の減少を契機として、資金不足におそわれ、デュラント氏は追放された。 その後、分権化された組織の足並みを揃えたのが、スローン氏であった。 スローン氏はGMを拡大路線から、組織の足並みを揃え、効率化を行なった。 それがプランニングの集権化と実行の分権化という今でも通じる組織形態であった。
下記の本と並んで、GM草創期の歴史がよくわかる。

『GMとともに』  アルフレッドP.スローン,Jr.著  2003年6月5日


『ゴーン革命と日産社員 日本人はダメだったのか』
前屋 毅著  2004年5月1日  小学館文庫  560円


 プロローグ  
 第1章  病める大企業 
 第2章  誰が会社を救うのか? 
 第3章  CFT始動 
 第4章  購買原価削減の設計図 
 第5章  日本人コスト・カッターたち 
 第6章  販売経費の“常識”を覆す 
 第7章  将来への研究開発力 
 エピローグ  

 ゴーン革命、つまり日産リバイバルプランの成功について、カルロス・ゴーン氏のならず、日産社員も大きな貢献をしていた。 この本は改革における経営者の役割りと社員の役割りについて書かれたものである。

 多くの日産の社員は、ゴーン氏といっしょに改革を行なったと話している。 下記の言葉に象徴される。
ニッサンの改革は、ゴーン1人でやれたわけではない。 ゴーンが“神様”だったから、ニッサンの社員たちは、ニッサンを復活させる力を秘めていた。 それを引き出したのは、ゴーンの経営者としての腕である。(238ページ)
 日本人経営者ではできなくて、カルロス・ゴーン氏が日産を改革できたのはなぜだろうか。 まず、危機感だけでは、企業は改革できないということである。 危機感は、改革のキッカケにしかすぎない。 日産自動車の場合、座間工場の閉鎖が最大の危機感を持った時ではなかったであろう。

 第二に、今までの改革は新しいビジョンを社員に見せることができなかったためである。 日産自動車の過去に幾つかの「構造改革」に取り組んでいる。 日産自動車に限らず、多くの日本企業が取り組んでいる「構造改革」は、販売実態に合せて、生産能力を削減するものでしかない。 嵐が通り過ぎるまで、役員報酬をカットして、それでも足りなければ社員の給与をカットして、身を縮めているだけである。 それも多くの場合、「机上の計画」でしかないと言われる。 現場感覚がないと言われる。 現場感覚は現場をただ見ることでも、現場の人の意見を聞くことではない。 現場感覚とは、現場を実際に見て、自分の頭で考え、現場で行われていることを自分で把握することである。
 企業改革にほんとうに必要なのは、量的な変化ではなく、質的な転換である。 TOC(制約条件の理論)からの引用であるが、下記が必要である。

   ・何を変えるか
   ・何に変えるか
   ・どうやって変えるか

 「何に変えるか」は、相手に責任を押し付ける「他責の文化」であり、部門間での「縄張り争い」で、十分認識されていた。
 しかし、「何に変えるか」は従来の構造改革では、社員には何ら示されなかった。 だがカルロス・ゴーン氏は「何に変えるか」は明確なビジョンを持っていたと考えられる。 ソリュージョンの出発点は、カルロス・ゴーン氏から与えられていたのである。 クロス・ファンクショナル・チームは、ソリュージョンを日産自動車を対象として完成させたのである。 それだけでなく、そのソリュージョンをどのように実行し、実行時に発生が予測される障害について考え、対策案をソリュージョンに織り込んだ。 それは部門の利害を超えて、全社的な利益を重視しなければならなかった。 しがらみも根回し(妥協)もない、とんがった改革案ができた。 カルロス・ゴーン氏が全てを指示していたら、日産の社員にはそれについて深く理解しないであろう、本気で実行しなかったであろう。 日産の社員が見つけたからこそ、そのプランに日産ならではのアイデアが盛り込まれ、実行できるのである。

 「どうやって変えるか」は答えが出てきたようである。答えは日産の中にあった。 カルロス・ゴーン氏は、対話によって、日産の社員から答えを引き出す方法を選んだ。 そのためには、カリスマ性を用いて周りの人たちを自分の考えに賛同させる能力が必要だった。 経営者にとって必ずしもカリスマ性は必要ないが、改革を行なう時には必須である。 トヨタ自動車の奥田元社長、本田技研の川本元社長、アサヒビールの樋口元社長、皆個性派である。
 それが外国人の特徴なのかもしれませんが、ダイレクトなコミュニケーションのとり方をしてくる。 自分の思っていることを、期待感も含めて、ストレートに伝えてくるんです。 『君たちパイロットに私は期待しているんだ』ってぐあいにね。(90ページ)
 従来の延長線にない改革案を実施に移すには、社員にも従来とは違う行動規範を持たなければならない。 上司に背かなければ誰でも出世できる規範が存在すれば、どのような会社でも官僚的になり、無責任と無能が蔓延ってしまうに違いない。 それを防止するために、社員の評価方法を変えている。 それがマトリックス組織であり、マトリックス組織の中で評価されるようにした。

 CFTの活動で興味深かったの販売についてである。 販売増を求めることなく、解消すべきは国内営業のムダとしたことである。 これは、日産自動車の販売は販売奨励金で行なうものでなく、商品開発で行なうとの決意の現われではないかと思う。

 著者はカルロス・ゴーン氏の日産社員に対する“飴”と“ムチ”の使い方がうまかったというような表現を使っている。 同じことかも知れないが、日産自動車の復活という難事業に対して、日産社員の自己実現という形で能力を引き出したと考える。 当然、日産社員の能力がもともと高かったことも忘れてはならない。


『奥田イズムがトヨタを変えた』
日本経済新聞社編  2004年5月1日  日経ビジネス人文庫  700円


 序 章  「奥田トヨタ」の千四百日 
 第1章  生き残りかけた新しい経営の模索 
 第2章  「資本の論理」映すグループ戦略 
 第3章  車の売り方を変えろ − シェア四割復帰への挑戦 
 第4章  「コスト革命」に挑む 
 第5章  世界を相手にあくなき挑戦 
 第6章  デンソー − 岐路に立つグループ最大子会社 
 第7章  トヨタ改革は進むか − 奥田・張体制の課題 
 終 章  進化する奥田イズム 

 この本は、1999年9月に日本経済新聞社から刊行された『トヨタ「奥田イズム」の挑戦』を文庫化したものである。 そのために改題、加筆修正が行われている。

 1995年8月25日、「高血圧症」で2月に倒れその後の病状回復が思わしくなかった豊田達郎社長に代わって、副社長の奥田碩が社長に昇格した。 大企業病が迫っていたトヨタ自動車を、「社徳のある会社」として成長の軌道に戻した功績は大きい。 特に、開発力の向上と海外事業で大きな貢献をし、経営環境に対して能動的に動ける企業に転換させた。  ところで、「社徳のある会社」とは、どのような会社であろうか。 推定するに、トヨタ自動車はコスト・リーダーシップを持った会社であり、低コスト競争では負けることはない。 つまり、多機能で品質の高いクルマを効率的に生産する能力が最も高い。 トヨタ自動車が売上を伸ばせば伸ばすほど、他社は苦しくなり、1人勝ちに批判が集まる。
 しかし、自ら新しい市場を作り出し、そこで利益を上げれば、批判が集まることはない。 新しい市場を自ら作り出せない会社は負け組み企業になるが、負け組み企業の努力が足りないためで、トヨタ自動車が批判される性格のものでない。

 1999年6月末に、張富士夫氏に社長を譲り、会長に退いた。 張社長は、奥田前社長が引いた路線を今も走っているように感じる。 現在、奥田氏は日本経済連会長でもある。

 奥田元社長が最初に直面した問題は、国内販売40%のシェア(登録自動車のみ)であった。 この時のトヨタのクルマは、面白味がなく、販売シェアは40%を割込んでいた。 短期的な対策として、年1000億円という販売促進費がディーラに支払われた。 しかし、長期的な対策として、製品開発能力の向上を目指した。 他社の後塵を拝していたRVは、クロスオーバーカーとして大きな収益源に成長させることができた。 ニュー・ベーシック・カーとしてヴィッツが発売された。 そして、ヴィッツが発売され、40%のシェアはあっさりと達成された。 ダイハツ・日野を含めて、軽自動車+登録車でも40%を確保する見通しである。 トヨタは販売促進費に頼らず、商品力で高収益を獲得できる企業となった。

 最近の販売網の再編成も計画されている。 他社では、販売台数が下がったために、販売チャネルを減らしている。 トヨタの場合は、販売チャネルの業態化に挑戦しているように見受けられる。 「ビスタ店」と「ネッツ店」の統合行なった。 これから「レクサス店」を立ち上げる。これに伴って、販売店の統廃合も予想される。
 「足で稼ぐ営業」から「来店客中心の営業」に変わるが、「顧客管理」の重要性は変えない。 部品会社は資本関係を重視するが、販売会社は独立会社を強調している。

 コスト削減も大きく様変わりしている。 まず、投資を削減し、生産体制をスマートにしたことである。ラインの統廃合も行なった。
 ライン統合だけでなく、投資の抑制も大きなテーマだ。 トヨタ幹部は「高岡工場(豊田市)のヴィッツ生産ラインは、従来のラインにかかる費用に比べ40%程度に抑えた」と胸を張る。 ヴィッツの前に生産していたスターレットの設備の徹底活用したためだ。(178ページ)
 また、コモディティ・マネジメントという手法も使われた。
 TMMIはTMMNAが扱わない軍手、電動工具など1万点に及ぶ消耗品を現地購入している。 通常なら納品業者は250社程度におよび、社内には25人の担当者が必要だ。
 しかし、「コモディティ・マネジメント」と呼ばれる代理店制度を導入、15社程度の業者に直接取引を集約した結果、社内の担当者を5分の1の5人に絞り込むことに成功した。 (191ページ)
 企業行動そのものがブランドに大きな影響を与える。 このことは最近になって明らかになってきた。 奥田元会長の「社徳のある企業」という考えは、トヨタというブランドに大きな影響を与えているものと考えられる。 このブランドを育てるための試みが始まっている。「トヨタウェイ」もそのうちのひとつであろう。



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