マッキンゼー社のプロジェクトから生まれ、ピーターズ&ウォーターマンが書いた『エクセレント・カンパニー』では優良企業に共通に見られる特徴として、下記の8項目を指摘している。
企業文化とは、単一の要因でできるものではない。 いろいろな要因が複合的に作用し合い、しかも長い時間を経て形成されるシステムである。 それらのなかから、重要な規定要因をあげれば、価値、英雄、リーダーシップ、組織・管理システム、儀式・運動、技術・市場特性である。野中郁次郎氏の組織の考え方は、組織と個人の関わり合いのスタイルを重視している。 戦略を実行するために組織は存在する。 しかし、個人やグループ、特にグループには与えられた目標があるにも係わらず、創造的仕事においてより高い目標を目指すことがある。 それを自己組織化と呼んでいる。 既存の管理システムでは、与えられた目標以上を目指さない。 ところが、自己組織化は目標を勝手に高い方に設定し直し、それよっては責任と権限も書き直される場合もある。 組織をトップダウン以外の方法で、直すという面で自己組織化と定義しているのである。
知識を独占し、人と共有しない |
文書化等された他の形式知とやりとりする | |
積極的に自分の考え方を提供し、相手の役に立とうとする |
機能別管理はトヨタで初めて創案された手法であり、先例がなかったため、トヨタではその確立までにかなりの紆余曲折を経た。 1962年4月に初めて機能別管理を運用したときに採用された機能項目は、『経営機能』から9項目、『生産機能』から4項目、合計13項目であった。 これらの機能の運営は、当初は『企画会議』という会議体で管理された。顧客指向の時代になり、生産の軸と顧客の軸でマトリックス組織が再構築された。 マトリックス組織の持つ『1人の社員に2人の上司』という問題は、短期の目標と長期の目標を組合せることによって問題を回避した。 それだけでなく、組織間で発生しやすい葛藤を個人やグループの中に持ち込み、問題解決する仕組みを組織内に組み込んだ。
1963年3月には、「役員が担当部門の利益代表になりやすい」という第2回全社監査での指摘を受けて、日常の部の運営は役員以外の部長に任せて役員の部門担当制を廃止して『機能会議』を設立し、役員は機能管理に専念するという体制を採用した。 機能も一挙に24項目に増やした。
その後、機能の数が多すぎて運用が難しいということで機能の数を半減したり入れ替えたりしながら運用したが、最終的には1965年3月に、役員の部門担当制を復活するとともに機能も8項目に絞り込み、機能別分担役員を明確にした。
ここにようやく、トヨタの機能別管理が確立したのである。その後、機能項目の多少の増減があるが、現在までこの基本形は変わらずに運営されている。
トヨタは、このように紆余曲折した原因は、『機能』の概念が全社的に統一されていなかったことによると総括した。 そこで、会社として最も必要な機能は『品質保証』と『原価管理』であるとして、これらの機能を果たすために各部門は何をしなければならないか、という各部展開を行なった。(132〜133ページ『トヨタ経営システムの研究』)
「官僚制度」は今日、ほとんどの組織で悪い意味で使われている。だが実際には官僚組織がなければ動かない。 官僚、つまりスタッフ部門はいくつもの機能を果たしている。さまざまな性格をもつライン組織の間の調整を行う。 会社全体の戦略を策定し実行して、組織内の重複、混乱、衝突を避けられるようにする。 コストがかかりすぎるか、単純に必要な資源が不足しているために部門ごとに抱えるわけにはいかない高度に専門的な機能を果たす。官僚的というネガティブな評価にもかかわらず、ほとんどの企業が官僚体制を組織のベースとして維持しているのは、官僚組織が記録を残すという面において優れているからである。 トヨタは昭和32年(1957年)頃に、主査制度(マトリックス組織)を導入したが、同時に技術管理部をパックで導入し、マトリックス組織の文書化を担った。 人類の発展は、先人の知恵(知識)をその後の人々が新たな知恵を積み上げてきた歴史によってもたらされた。 企業も同様で、先人の知識を積み上げる文書化の頑健な仕組みを持ってこそ、人に依存しない永続的成長する組織になれるのである。
(中略)
IBMで問題だったのは、官僚組織があったことではない。その規模と使われ方である。
IBMの「ノー」の文化で、そして、各部門が競い合い、情報を隠し合い、他部門による自分の縄張りへの出入りを管理したいと望む複雑な内紛の世界で、歩兵部隊の役割を果たしてきたのがスタッフ部門だ。 部門間の調整を行うのではなく、バリケードを守り、境界線を守っていた。
たとえば、大人数のスタッフが無限とも思えるほどの時間を費やして、各部門間の振替価格を議論し管理していた。 顧客に製品を切れ目なく提供できるようにすることには関心がなかった。組織のどのレベルにもスタッフ部門が設けられていた。 他部門の人間を信頼してスタッフ機能を任せる幹部はいなかったからだ。 複数部門にわたる問題を議論する会議には大量の人たちが出席した。だれもが出席して自分の縄張りを守る必要があったからだ。
これらの結果、会社のあらゆるレベルにきわめて強力な官僚組織ができた。何万人ものスタッフが自部門の特権、資源、利益を守ろうと必死になっていた。 そしてそれ以外の何千人ものスタッフが、群集に秩序をもたらし、標準を守らせようと努力していた。
しかし漫然と官僚制を維持すると、次のような『官僚制の逆機能』に陥りやすい。企業は大きくなるとともに複雑さを増す。大会社のほとんどは、本質的な複雑さに対応するため、複雑なシステムと組織を考え出す。 戦略の複雑性は環境の複雑さを反映している。 その結果、スタッフを増やしてその複雑さと取り組もうとするのだが、ここから誤りが始まる。 複雑さに対するこの種の間違った対応について、よく引き合いに出される典型例をあげるとしたら、それはマトリックス組織であった。(53ページ『トヨタ経営システムの研究』)
- 訓練された無能力:以前の状況で適切な行動パターンだったものが、状況変化の後にも持ち越されてしまい、そのまま漫然と継続されてしまう。
- 職業的精神異常:同じ仕事を繰り返すことにより、人々に特別な好み、嫌悪、識別、強調の癖が発達してしまう。
- 目的の転移:規則を守ることが手段であったにもかかわらず、それが自己目的に変化してしまう。
『日経ビジネス』(2000年4月10日号)は「トヨタはどこまで強いか−日本的経営 最後の砦」という特集を組み、知られざるトヨタ流経営哲学に迫っている。 この記事によると、あるトヨタ生産方式の指導者が「トヨタ生産方式の強みは何か。初級者は、在庫が少ないことだと答える。 中級者になると、問題を顕在化させ、生産性向上、品質向上を強制するメカニズムが含まれていることだと言う。 問題を顕在化して作業を繰り返すうちに、問題がない状況が不安になって、なんなで一生懸命問題を探し始めることだ」と語ったと言う。(32ページ『トヨタ式最強の経営』)マチュリティ(成熟度)の最も低い高指示低協労では、初級者の状況である。 次の高指示高協労では、上記の相反する目標によって改善を行う中級者である。 その上の低指示高協労、低指示高協労のマチュリティの高い段階の上級者になって、創造とか改革ができるようになる。 トヨタ自動車の言う『常識はずれの改善活動』である。 今までの改善の方法では、高い目標は達成できず、過去を捨てて、新しい考えを求めるようになる。 本田技研ではこれを『共創』という。『皆んなで創造活動を行う』のではなく、『お互いに影響し合って各々に変化する』ことである。 『共創』には、それにふさわしい場が必要であるという。
| 個人 組織 | ||||
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改善案の出し方には2つある。 1つは、現状の「知識・技能」をベースに考え、「問題点をつぶす」改善活動で少しずつよくする帰納法である。 もう1つは、最初から高い目標を揚げて、発想を変えて知恵を出すことで目標に限りなく近づく演繹法である。(47ページ『トヨタ式最強の経営』)演繹法によるコンセプト展開型でアイデアを出せるエンジニアは少ないが、演繹法でないと改革はできない。
社長に就任した川本は、それまでのホンダの伝統である販売、生産、開発の各部門で構成する会議で立案、決定するボトムアップによる四輪車戦略を、役員だけで構成する四輪企画室で決定するトップダウン型の意思決定方式に切り換えた。 川本が四輪本部長に就いたほか、その下の製品本部長には入交昭一郎、営業本部長には宗国旨英が就くなど、社長以下の役員の担当分野も明確にした。 役員が1ヵ所に集まってワイワイガヤガヤと自由に意見を出しながらコンセンサスを作るホンダの伝統的な意思決定のやり方は事実上機能を停止した。
(中略)
「なぜ自由闊達な企業風土を持つホンダに、“管理”の経営思想を導入するのだろう」。 こうした疑問を持って当時のホンダの改革を取材した筆者は、日経産業新聞に掲載した連載記事の中で「同じ方法では成長を維持できない。新しい運営方法が必要だ。 “自由”に適度の“管理”を加えることこそが、新時代の経営コンセプトだ」と書いた。 それまで自由放任だったホンダ社員の勤労スタイルはメリハリのある機能型のスタイルに変わった。(22〜23ページ『ホンダのDNA継承術』
「90年前後に経験した危機感がホンダを強くした。 それまでは成り行きでクルマ作りをしているところがあって、コストマネージメントの基本戦略が弱かった。(136ページ『ホンダのDNA継承術』本田技術研究所は、天才本田宗一郎氏亡き後を多くの人で支える目的で設立された。 そういう意味で本田技研は、ボトムアップ経営であった。ここにトヨタ自動車が得意とする“管理”を持ち込んだ。
研究所の分離が大勢の本田宗一郎を作る狙いに対し、役員の大部屋制はたくさんの経営のエキスパートを作ることだった。 役員の相互信頼を図り、社業について共通認識を持たせることで、創業者である本田と藤澤がいなくなっても集団で経営ができる。 誰もが担当の枠を離れて気軽に話す気分ができたことで、後で言われる「ワイガヤ」の雰囲気ができた。(70ページ『ホンダのDNA継承術』)最近の動向としては、次のとおりです。
結局のところ、企業を変えるには、リーダーだけが旗振りをするだけでは限度がある。 ミドルを核に従業員を動員する仕組みと仕掛けが不可欠だ。 こうした状況を受け、トヨタ自動車、ソニー、キャノンなどの大手各社は、一斉に将来有望なミドルの育成に重点を置いたハイポ教育の拡充に動いている。(193ページ『ホンダのDNA継承術』)
そこで教わったのがライン・スタッフ制である。 セミナーで教わった生産性向上の理論同様、ライン・スタッフ制の組織論もすべてアメリカの、しかも製造業における事例がベースにあった。 日本の、しかもサービス業に属する運送会社の経営には、必ずしも適切でなかったが、それには気づかず、自社に応用したいと思い、いろいろ検討したものである。製造業でもライン・スタッフ制の弊害が言われている。スタッフ部門の肥大である。 それもスタッフ部門が、スタッフ部門にふさわしい仕事を行なっているかについて疑問が投げかけられている。 ライン部門が行なうべき仕事を、スタッフ部門(間接部門)が行なっているというのである。 いわゆる分業のし過ぎである。
ライン・スタッフ制というのは、製造および販売の基幹部門をライン部門と規定し、総務、人事、経理など、ラインを補完し支援する部門をスタッフ部門とし、機能分化を図るものである。
わかりやすいのでひところ流行ったようだが、経営力の強化にそれほど役に立ったとは思えなかった。 ライン部門では、生産工場や販売支店など現場組織が主体であり、スタッフ部門は、主として本社の管理機構に属していた。 このため、スタッフ部門は経営管理の中枢という意識を持ち、ややもするとラインに命令する傾向が生ずる結果になることが多かった。
本来の目的は、製造や販売の第一線部門から間接業務を取り除き、機能を純化して組織の機動的な活動を進めるものだった。 だが、実際には、間接業務を担当するスタッフ部門が頭でっかちになり、ライン部門に対して過剰な報告を求めたり、企業の意思決定に時間がかかる欠点も見られるようになった。 いずれにせよ、製造業を対象とした組織論であった。(262〜3ページ『小倉昌男 経営学』)
参考文献