自由化後のヨーロッパ市場
1998年10月に日・EUモニタリング協議で1999年の欧州(EU15ヶ国)に対する日本車輸出規制枠が124万5千台で決った。
これは春より欧州自動車市場の拡大を受けて、6万1千台増加した。
1992年に7年間の期限付きで衣更えしたEUの日本車に対する規制は、1999年で終了した。
欧州(EU)の自動車市場も完全な自由競争になった。
1974年と1979年の二回の石油危機によるガソリン価格の上昇により、米国で小型車の需要が急増し、日本車の輸出が集中豪雨的に増加した。
景気後退ともあいまって、米国の自動車会社のBig3が大幅な赤字を計上する等の経済困難な状況に落ち込んだ。
自由貿易体制を標榜するアメリカには、一方的に日本車を規制することができなかった。
日米の経済摩擦が深刻化するのを避ける目的で、日本の通産省が1981年から自主的な乗用車輸出規制を行うことを決定した。
一方、ヨーロッパ市場でもアメリカ市場で起きたことが再現されていた。
1980年頃のアメリカでの日本車輸入規制によって、日本の自動車メーカーがヨーロッパへと輸出先をシフトしてくるのではないかと危惧されていた。
その危惧によって、ヨーロッパでの日本車輸入規制が始まった。
なお、1980年代のヨーロッパは、ユーロペシミズムと呼ばれる経済停滞期でもあった。
自動車先進国の欧米では、石油危機以前から普及率は飽和状態にあった。
その市場に日本車が洪水のようになだれ込んできた。
日本車はユーザーから好まれても、ライバルメーカーからは目の敵にされ、フランスでは輸入台数の3%、イタリアでは年間3,300台に規制、イギリスでは日英業界の話し合いで日本車の輸入は総需要の10%に抑えられた。(93ページ、『自動車 合従連衡の世界』)
イギリスでは、業績不振に陥った自動車メーカーを国有化し、まとめてBL(ブリティッシュ・レイランド)とした。
ホンダはBLと業務提携し、1979年12月に正式調印した。
日本車に対する高い評価を背景に、4月にはホンダが英国最大の自動車メーカー、BL(ブリティッシュ・レイランド、後のローバ)との業務提携に踏み切った。(94ページ『自動車 合従連衡の世界』)
その後、国営企業だったBLは、民営化政策によりブリティシュ・エアロスペースに売却された。
1989年、ホンダは現地生産会社設立にあたり、ローバーに20%の資本提携した。
その後、ブリティシュ・エアロスペースがその持株をBMWに売却した時に、ホンダは資本提携を解消した。
BMWはミニのみ残し、ローバーは投資顧問会社に売却され、今解体の危機に直面している。
GMがフィアットとの資本提携を発表した数日後、今度はドイツの高級車メーカーBMWが、小型車の『ミニ』を手元に残して傘下にある英ローバーを、英投資家グループ、アルケミー・パートナーズに売却すると発表した。
ローバーは英国最後の量産メーカーで、79年にホンダと提携、両者の関係はホンダが20%資本参加するまで深まった。
その関係を基に1993年秋にローバーの親会社のBAe(ブリティッシュ・エアロスペース)が、ホンダに完全買収したが、ホンダが尻込みしたため、翌年1月にBMWが買収したという経緯がある。(235ページ『自動車 合従連衡の世界』)
日産自動車はヨーロッパでも進出した時期が早く、既に1980年で日本メーカーの中で大きなプレゼンスを持っていた。
80年1月のスペインのトラックメーカー、モトール・イベリカ(現ニッサン・モトール・イベリカ)への資本参加を皮切りに、2月にはイタリアのアルファロメオと現地で小型乗用車の合弁生産、4月に入ると米国での小型トラック生産、
11月には西独フォルクスワーゲン(VW)との全面提携、この間メキシコ工場の生産拡大と矢継ぎ早に海外プロジェクトを打ち出し、81年1月にサッチャー首相から直接要請された英乗用車工場建設の発表で締めくくった。(108〜9ページ『自動車 合従連衡の世界』)
特に、日産自動車のスペインの進出は、失敗といわれている。
「経営不振に陥ったカナダの農機具メーカーのマッシー・ファーガソンが、イベリカの株を放出する。
イベリカは年12%の配当をしているにもかかわらず、株価は額面を割込んでいる。
原因は親会社の経営不振のあおりを受けてイメージが悪化したことにある。
GMやトヨタも虎視耽々と狙っている。今が絶好の買い時」
イタリアのアルファロメオと折半出資でアルナ・ニッサンを設立し、年間6万台の「パルサー」をする計画であった。
アルファロメオのアベリーノ工場を使用し、パルサーの車体にアルファロメオのエンジンを積んだクルマを1983年3月末から生産を始めた。
この報告を聞いて石原は、ろくに現地調査せず、1ヵ月後には株式取得の方向で交渉に入ることに決めた。
この情報は11月に新聞に漏れ、記者会見に臨んだ副社長の大熊は、今回の資本提携が日産の国際化にとっていかに重要であるかを得々と語った。
「スペインは87年にEC(欧州共同体、現EU=欧州連合)に加盟する予定だ。
現在ではトラックメーカーだが、将来は乗用車を手掛け、日産がEU市場で乗用車に参入する際の足掛かりにしたい」
「イベリカの株式約3分の1の取得価格は4千140万ドル(邦貨換算で当時91億円)。
株価は額面を割っているが、年12%配当しているので投資物件としても妙味がある」
「あの会社は粉飾決算をしており、実態は大赤字です。
世界中の有力自動車メーカーに売却を打診したが、内情を知っているVWやベンツなどの欧州メーカーにはことごとく断られている。
たとえ日産が買収しても再建は不可能でしょう。
しかもスペインのEC加盟は予定通り進まないので、日産にとって欧州乗用車進出の足掛かりにはなり得ない」
塩路はこの情報を会社側に上げて慎重な対応を求めたが、石原は「持ちかけられた時に買わないとチャンスを逃してしまう」と相手にせず、さっさと資本参加を決めてしまった。
欧州メーカーが断った後、GMとトヨタが興味を示したのは事実である。
トヨタは総合商社の日商岩井(現日商)に調査を依頼したが、「イベリカは粉飾決算をしている」との報告を受けて早々とあきらめた。
GMも事前調査をすることで合意したが、最終結論はトヨタと同じだった。
案の定というべきか、イベリカは日産が資本参加したその年から馬脚を現し、たちどころに無配に転落してしまった。
当時、スペインは企業が一定以上の赤字を内部に保留することを禁じていた。赤字を補填するために増資をしなければならない。
しかし、不良企業の増資に応じるお人好し企業もなく、増資は全額日産が引受けざるを得なかった。
増資はその後もズルズルと続き、いつしかイベリカは日産が株式の90%を保有する完全子会社となり、社名も「ニッサン・モトール・イベリカ」に変更した。
イベリカにはいくら金をつぎ込んでも業績は好転せず、最終的に500億円を上回る資金を投じたが、結果的には大金をドブに捨てたのである。(111〜2ページ『自動車 合従連衡の世界』) イベリカと資本提携したわずか6日後に発表したイタリア、アルファロメオとの合弁生産計画と、その10ヵ月後に発表したVW提携は後日、石原本人が苦笑いしながら竜頭蛇尾としか表現できないプロジェクトだった。
とりわけ失笑を買ったのが大和証券の仲介で始まったVW提携である。
提携の骨子は、VWの小型車の『サンタナ』を日産が日本国内で、ライセンス生産するというものである。
日産はこれを機にVWと全面提携する腹づもりで、社内では将来の提携の可能性として小型ディーゼルエンジンの購入、アルコールエンジンの共同開発、防錆技術の評価法の研究、米国での生産協力、メキシコ工場における部品、ユニットの共有化、系列部品メーカーの相互利用、欧州市場での日産車の販売、南米のVWの生産拠点での日産車の生産…など盛り沢山なショッピングリストを作成した。
ところがVWには日産と全面提携する考えは露ほどもなかった。
日本市場におけるVW車の代理店はヤナセだが、VWは販売台数に満足していなかった。
そんな矢先の80年11月、東京で日欧自動車メーカーのトップが一堂に会する会議が開かれた。
日欧の自動車摩擦の解消を議題とした公式会議とは別に、石原はVW会長のトニー・シュムッカーと会談して、将来の全面提携を前提にVW車のライセンス生産を持ち掛けた。
こうして交渉が始まったわけだが、石原の思惑は1ヵ月も経たずしてはずれてしまった。
交渉の席で日産はライセンス生産を前提に提携拡大を打診するが、VWは日産の提案にほとんどといっていいほど興味を示さなかった。肝心のライセンス生産にしても、年産12万台を要求するVWと、2万5千台の日産の主張には大きな隔たりがあった。
それでも81年の秋口に入って、ようやく月4、5千台の線でまとまった。
しかし単にハンドルを左から右に移し変えただけだから、運転席が助手席より狭くなり運転しづらいなどの欠陥がついて回った。
84年から91年間までの7年間で5万台弱しか生産・販売できず、VW側に日産に対する不信感を残したまま、いつしか空中分解した。
皮肉にもVWはその後、ヤナセとも手を切り、今度はトヨタと手を組んでVW車の拡販に乗り出し大成功を収めた。
また独国内でもトヨタの小型トラックを受託生産するなど緊密さを増している。(113〜4『自動車 合従連衡の世界』) 石原が推進した英国プロジェクトのフィジビリティ・スタディ(FS=事業化事前調査)を依頼されたマッキンゼー日本支社長の大前研一は、あぜんとしながら語ったことがある。
「日産の海外戦略は根本的なところから間違っている。人、金、技術の配分に重点思考がなくバラバラだ。
企業は今日儲かっているところと、明日儲かるところに金をつぎ込まなければならないのに、日産は将来、それも儲かるかどうか分らないところに金をかけすぎた」(182ページ『自動車 合従連衡の世界』) 日産自動車が英国政府との間で取りかわした基本合意書の概要は次のようなものである。
トヨタ自動車は英国工場を建設し、1992年からカリーナEの後継車アベンシスと、カローラを生産している。生産能力は22万台。
サイトは800エーカー(323平方メートル)程度の見込み。
この実験工場の操業を通して、日産は労使慣行、現地部品の調達、その他英国における事業運営の環境条件に関する経験をつみ、将来の計画の可能性を見きわめる。
この段階において生産される乗用車は、日本からの輸入完成車として取り扱われることになっている。
もし、第二段階に進むことを決定した場合には、少なくとも年十万台の生産能力を有し、従業員は、およそ2700人に達することになると思われる。
生産は1990年(第一段階)には開始され、1991年(第二段階)には10万台に達する見込みである。(204〜5ページ『労働貴族』)
北フランスのバランシェンヌに敷地面積約200万平方メートルの工場を建設し、2001年からヤリス(ヴィッツ)生産開始した。
輸入規制の厳しかったフランス・イタリア・スペイン・ポルトガルは、小型車の多い市場であり、これらの市場開拓もしなければならない。
トヨタ自動車はフランスでのヤリス(ヴィッツ)の現地生産の次に、さらに小型車の合弁をPSAと決めた。
トヨタ自動車はヨーロッパで大きなクルマを売っていくためには(自主燃費規制のため)、850cc程度の小型車を売っていかなければならないと発言している。
ダイハツの軽乗用車をベースに開発され、チェコで年30万台生産される。
2005年央には、トヨタが10万台、PSAが20万台販売する予定である。
トヨタは同工場でPSAと共同開発した欧州戦略小型車、「アイゴ」を年間10万台生産し、2005年7月から欧州で順次発売する。
アイゴは1.0リットルガソリンエンジンと1.4リットルディーゼルを搭載する。
プジョーは「107」、シトロエンは「C1」として、低価格入門車として2005年6月に発売する。
トヨタ自動車は、現地生産によりシェア5%に挑戦していたが、目標を1年以上も早く達成した。
2000年のトヨタ自動車の欧州での販売台数は54万台、シェアーは3.7パーセント。
「ヤリス」(日本名・ヴィッツ)の全面改良も控えており、2010年に120万台の販売を目指す。
2007年には日本車メーカーとしてロシアに初進出、サンクトペテルブルクで「カムリ」(同5万台)の生産する計画である。
「目標は2005年に80万台、シェアー5パーセント」と奥田碩会長は口にする。(108ページ『トヨタはどこまで強いのか』)

1991年、三菱はオランダ政府、ボルボと合弁でオランダに乗用車生産会社を設立した。(251ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)その後、オランダ政府の出資を三菱とボルボが買い取った。 ボルボの乗用車部門がフォードに買い取られたため、契約により三菱がネッドカーを買収し、ダイムラークライスラー社との合弁事業とする予定であった。 ネッドカーではダイムラークライスラーのスマートフォーフォーと三菱コルトが生産されている。 しかし、ダイムラークライスラーはネッドカーの株式買取りはなくなり、現在三菱100%子会社になっている。
1999年1月、提携関係の強いボルボの乗用車部門がフォードに買収された。 これを機に、フォードが三菱に接近し、資本提携が有力とうわさされた。 ところが、フォードとボルボとのあいだで乗用車のプラットフォームの開発計画が立てられ、 すでに三菱とのあいだで計画されていたプラットフォームの開発には熱を入れなくなった。(252ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
ヨーロッパの自動車市場は、GM(オペル等)、フォード、VW、ルノー、PSA(プジョー・シトロエン)、フィアットの6社がそれぞれ10〜15%のシェアーを持つ市場である。
例えば、ルノーの販売台数の80%は欧州での販売であるように、伝統的なヨーロッパメーカーはグローバル化が進む中、欧州市場に依存する比率が高い。
ドイツでは比較的大きな車が売れているが、フランスなど多くの国では小型車が中心である。
アメリカ市場がカムリやアコードが中心の市場であるのに対して、ヨーロッパの市場はより小型の車が中心である。
さらに、自動車関係諸税も国によって大きくことなっている。一般的には小型車優先のグリーン課税を取り入れている。
また、ヨーロッパ市場では韓国を始め、マレーシアのプロトン等の会社が輸出を行っていて、低価格市場で一定の位置を占めている。
ヨーロッパの優等生であるドイツの自動車産業では、高級車と大衆車の棲み分けがほぼできていて、着実に販売台数を伸ばしてきたが、第二次石油危機以後のマルク高と労働コストの高騰から、競争力の低下に見舞われた。
その対策として、フォルクスワーゲンでは生産ラインのロボット化を進めるとともに、アメリカとブラジルの二大拠点で大合理化を進めた。
さらに、南ヨーロッパ、東欧にも積極的に進出した。
1993年における各国自動車産業の賃金コストを比較すると、ドイツが跳び抜けて高く、フランスの1.8倍、アメリカの1.35倍、日本の1.25倍となっている。
これでは、いくら生産性が高くとも、いずれは限界にぶち当たらざるを得ない。
そこで対策として海外に生産拠点を移す動きが強まり、その結果、国内産業の空洞化が懸念される事態になってきた。
1990年の東西ドイツの統一によって一時的な自動車ブームが起こり、翌年には総生産台数が500万台を突破したが、93年には需要の一巡とヨーロッパの景気後退もあって、375万台にまで落ち込んでしまった。
そのため、フォルクスワーゲン、オペル、ベンツがいずれも赤字に転落した。
このころを境に、ドイツの車メーカーの姿勢が大きく変わりはじめた。
たとえば、ベンツは高級車路線からフルライン化へと大きく舵を切った。
フォルクスワーゲンは、国有企業の名残から、自分たちが開発した製品を消費者に押し付けるような傾向があったが、そうした傲慢さが少しずつ薄れ、顧客好みを強く意識した市場優先の商品戦略をとるようになって、車もカラフルになった。(200〜201ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』) ベンツ、BMWといえば、世界の高級車の代名詞のような存在である。
それが驚くことに90年代前半ごろから、日本のメーカーが得意とする400万円以下の大衆車分野に進出するという大胆な戦略を打ち出した。
ヨーロッパ市場の特徴として、地球環境問題に関心が高い。自動車の排ガス規制よりも、二酸化炭素の排出規制を重視する。
例えば、地中海はジブラルタル海峡で外洋に接しているだけであり、潮の満ち引きが非常に少ない。
このような地で海面上昇が起これば、致命的な損害を与えることになる。
たとえば、ベンツでは、1993年6月に発売したコンパクトなCクラスの車ガ大人気となり、その年だけで12万台も売って、赤字に陥っていた業績の回復に大きく貢献した。
1994年に入ると、前年に就任したばかりのヘルムート・ベルナール社長が歴史的決断を発表して世界を驚かせた。
百年にわたって踏襲してきた、高級車に特化した路線から、量産性を全面に出した小型車のAクラスや2人乗りのコンパクト・カー「スマート」も生産する、いわゆるフルラインメーカーへと脱皮する経営革新をはっきりと打ち出したのである。
「高級車にしがみついていたのではベンツに未来はない」として、なによりも技術を最優先するこれまでの姿勢をあらため、社内にマーケット・インおよびコストダウンの徹底を持ち込んで、企業体質を大きく変えようと決断したのである。
(中略)
BMWも90年代に入って、従来の価格を大幅に下まわる300万円台の3シリーズを発売して、日本での販売台数を確実に伸ばしている。(40〜1ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
欧州自動車工業会とEUが結んだ自主的な燃費向上目標がある。
EU(欧州連合)では、乗用車からのCO2排出が全排出量の12パーセントを占め、その対応が地球温暖化を救うカギになっていた。
それを受けて、欧州自動車工業会(ACEA)は98年11月、1キロ走行時のCO2の排出量(業界平均)を、2008年までに95年比25パーセント減の140グラムに押さえることで合意した。(12ページ『トヨタとホンダ』)
そのために、小型車シフトが始まっている。
成熟化したヨーロッパのマーケット全体が、最近、より小型の車へと急速にシフトしつつある。
それもコンパクト・カーと呼ばれる1000から1600ccクラスの車である。
この波は石油危機直後のときと同じく、日本やアメリカにも波及してきている。
80年代初め、日本の輸出攻勢によってヨーロッパに第一次小型車戦争がはじまった。
いま、第二次小型車戦争が進行中だ。
第一次の主役だった日本車は、ヨーロッパに十分な生産拠点を確立しておらず、いましばらくは脇役にまわらざるを得ないが、トヨタが「ヤリス」(日本車名「ヴィッツ」)を、次に本田が「ジャズ」(日本車名「フィット」)と相次いで世界戦略車をヨーロッパに投入し、
これに続いてこの2、3年のあいだに、日産もルノーも、三菱を中心としたダイムラー・クライスラーグループも同様の車を発売する。
2004年以降は、再び日本車が台風の目になる可能性がある。
ドイツでは、フォルクスワーゲンも1994年に1600ccの「ポロ」を発売して、ヨーロッパのベストセラー・カーとなった。
続いてスペインの子会社セアトから1997年春、1000cc、1400ccのコンパクト・カー「アザロ」、さらに「ルピノ」を発売した。
いずれも全長3.5メートルの小型車である。2001年3月には、1200ccのターボディーゼルエンジン搭載の超低燃費の“3リッターカー”「ルポ」も発売された。
その他、ルノーの「トゥインゴ」、フィアットの「プント」、フォードの「Ka」、オペルの「ヴィータ」、プジョーの「206」、もちろん、ベンツのAクラス、「スマート」も入っている。(347〜348ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
| クラス | 代表的車種 |
| A(ミニ) | トゥインゴ |
| B(スモール) | ヴィッツ、 |
| C(ロワーミディアム) | カローラ |
| D(アッパーミディアム) | プリメーラ |
| E1(ニアエグゼクティブ) | |
| E2(エグゼクティブ) | |
| F(ラグジャリー) | |
| G(スポーツ) | |
| SUV | |
| MPV |
とくにいまヨーロッパでは、ディーゼルエンジンを搭載した小型車が実現性の高い現実的な条件で省エネ・カーとしてもてはやされつつある。 ディーゼルはガソリンエンジンと比べて最適な条件で燃費が約30パーセントほど優れており、二酸化炭素の削減にも効果がある。(383ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)1991年に欧州自動車市場で日本車が12.3%のシェアをとって、為替が円高に傾いたためもあってシェアが減少している。 1980年代に日本車の販売拡大は、走る性能に一本槍だった欧州車に対して、スタイルが似ていて、室内の内装が豪華であり、走りもヨーロッパ車には劣るが、そこそこ走るという点が評価されていた。 その一方で、欧州車もアメリカ車同様に品質が向上した。と同時に、日本車の欧州市場での成功の要因をよく研究して、欧州車も内装を良くしてきた。 結果、品質と生産性は日本車に勝たないが、キビキビ走る走りの良さや特徴的なスタイルという点では欧州車が勝っている。 欧州車には車のスペックだけでは語れない、日本車にない何かがあると言われている。
1998年から1999年にかけて、ヨーロッパの各メーカーがコモンレール式の高圧直接噴射の技術を駆使した新世代のディーゼルエンジンを投入して排ガス対策を進めたことで、これまで以上に消費者の購買意欲をそそり、市場が変化してきたのである。
ヨーロッパの主要国でディーゼル乗用車の普及率がもっとも高いオーストリアの62パーセントをはじめとしてほとんどが50パーセント以上で、比率が低かったドイツでは普及が急進展し、過去3年間で2倍を超える30パーセントになっている。
ディーゼル車にもっとも力を入れているメーカーはフォルクスワーゲングループ、プジョーグループ、ルノーであり、コモンレールなどの最新の燃料噴射技術ではボッシュの独断場である。
とくにフォルクスワーゲンはヨーロッパにおけるディーゼル車市場の30パーセントを占め、1200ccから3300ccまでの幅広い領域をカバーしており、ほとんどすべての車種でディーゼルバージョンを取りそろえている。(385〜356ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
トヨタもまた、2000年7月、PMや窒素酸化物(NOx)の排出を現状よりも8割削減する、世界最高水準の排ガス浄化システム(DPNR)の基本技術を確立したと発表して注目を集めた。 このシステムを備えたコモンレール式ディーゼルエンジンは2003年以降、大型トラックやヨーロッパ向け小型ディーゼル車にも搭載し、他社にも供給するとしている。(387ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
こちらでは、いろいろな車が走っていますし、1つの車の寿命も長いので、古いのから新しいのまで走っています。 そのなかでトヨタの車をアピールしようとすると、おとなしくてはだめですね。 丸いの、四角いの、とんがったの、いろんな顔の車がいるなかでいかに我々が主張し、あの車がいい、あれを買おうといってもらえるか、これが重要なんですよね。 ヨーロッパでは、エボリューションとか、テーマ性がないといわれますが、こちらにくるとそれがよくわかりますね。 つまり、いかにアイデンティティが大事かと。 アイデンティティは、メーカーと同時に車の1つのブランドとしてのアイデンティティもあります。 そういうものを育てていかなければいけないし、また、育てるに値するものをつくっていかなければいけない。アメリカ市場に比べヨーロッパ市場では、日本の自動車メーカーは利益を上げていないと言われている。 アメリカの乗用車輸入関税は2.5%であるのに対してEUのそれは10%であることも、影響しているであろう。 ヨーロッパ市場では、シェア5%に達していなく、知名度が低く、これが販売コストを引き上げていることも言われている。
アメリカ市場に比べてヨーロッパの市場は、むずかしいです。 安全でなくてはいけない。それでいて目いっぱい走る。耐久性や環境にも配慮が求められる。デザインにもうるさいといった具合です。 こんな厳しい市場はありませんが、ここで通用する車をつくれば、世界のどこの市場にいっても通用するということです。
かりにトヨタがこれに対応できなくて、ヨーロッパ・メーカーが対応できるとなれば、彼らはアジアにやってくるでしょうし、当然アメリカにもいくでしょう。 ということは、トヨタが負けることなんです。 ヨーロッパで負けるだけではなくって、世界の市場で負けることを意味するのです。(27ページ『トヨタの方式』)
参考文献