アジア自動車市場


アジア自動車市場の概要


 まず、経営の諸機能の海外移転は5段階を経て発展・高度化するマッキンゼー・モデルがある。

  1. 商社や現地の流通業者を通じて市場開拓が行われ輸出活動が始まる。
  2. 現地市場における自社の販売子会社の設立による直接販売・マーケッティングが始められる。
  3. 輸出や販売拠点の設立で築いた市場を確保するために生産の現地化(製造子会社の設立)が要請され、現地の雇用確保や貿易摩擦になどに対応した国際事業戦略の構築が求められる。
  4. 現地のニーズを活かし、現地の経営資源を活用する方向で、開発から生産・販売までの完結した経営活動による親会社の複製を設立し、主要地域に国際事業本部機能を担う地域統括会社が設立される。
  5. 世界市場をひとつにとらえ、グローバルな視点から経営活動が調整・統合され、経営資源の最適配置・利用が図られる。
 アセアン市場では1960年代から、各国の自動車国産化政策によって自動車の国産化が始まった。 第2段階の成熟化が進まないまま第3段階の輸入代替産業としての自動車の国産化が始まった。 自動車産業は裾野の広い産業であり、自動車産業を国産化は多くの産業の振興に役立つという考えに基づいたものであった。 国産化政策は産業を保護するということであり、自動車メーカー間の競争を押さえる作用がある。 国産化を行う自動車メーカーにとっては、規模は小さいが確実に利益の上がる市場でもあった。 結果、国産化された自動車は、輸入されたそれよりも価格が高くなるという欠点も持っていた。
 自動車普及過程の特徴として、乗用車の普及は富裕層やタクシー需要から、小型商用車は個人商店主や乗合バスやタクシー需要から始まる。 自動車の販売台数が少ないうちは、車は贅沢な商品ということで、国産化による高価格が認められてきた。 1990年代半ば国民の平均所得が上昇してきて、中間管理職層にまでも自動車所有が拡大してきた。 国民1人当たりGDPが3000ドルを超えると、アセアン諸国でもモータリゼーションが始まると言われている。 日本がモータリゼーションを迎えた1960年代では、年間所得と乗用車価格が一致した段階からモータリゼーションが始まると言われていた。 現在のアセアン諸国では、この所得水準からかなり低い水準でモータリゼーションが起こっている。 この原因は家族が大きく、血縁関係が強く、投資として親族に車を持たせるためと思われている。

 輸入代替産業として自動車生産が始まった時代は、自動車産業は混沌とした時代であった。
1970年代後半に起きた2度の石油ショックによって、石油を初めとする資源や一次産品の価格が上昇した。 この資金を基にしてアジア各国でも積極的に自動車産業育成政策をとる国が増えた。 しかし、2度の石油ショックによる先進国各国の景気停滞の影響を受けて、1980年代初め石油価格の下落や一次産品価格の低下によってアジア諸国も経済停滞に陥った。

 その後大きな転換点になったのが、1985年のプラザ合意による円高であった。 これによってアジア、特にNIC'sと呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールが対米を中心として輸出が増加した。 韓国の現代自動車が本格的に対米輸出を行い、韓国の自動車産業が大きく成長した時代でもあった。 アジアの雁行型成長パターンと言われるように、アセアンにも投資が増加し、アセアンでの自動車販売も増加してきた。 この時代には、NAFTAの北米経済圏やECからEUへの拡大による地域経済圏が盛んになった。 アセアンでも1988年に自動車部品補完協定(BBC)が締結された。 これによってアセアン各国で自動車メーカーごとに生産する部品を特化し、それらを相互に供給しあうことで、生産規模の拡大とコストの削減に取組む政策をとった。 これは地域経済圏による関税優遇策であり、産業育成政策でもあった。
 ベルリンの壁の崩壊にともに経済のグローバル化と、競争の激化であるメガコンペティションが進行した。

 アセアン各国は今までの自動車産業保護政策を変更し、国民生活の向上のために自動車を普及させようとする。 結果、現地化の第4の段階へと進みかけた。この時に1997年7月のアジア金融危機が発生した。 現地の経営資源の活用とは、部品の調達の現地化のみならず、資金の現地化も含む。 この資金の現地化ができていなくて、アジア金融危機の時、現地通貨の下落によって大きな為替差損を被った自動車会社もあった。 1999年に入り、この金融危機による不況から抜け出したと言われている。 アセアン各国の輸入関税を引き下げるAFTAが締結され、製品の域内関税は0〜5%に下げられることが決まった。 景気回復に支えられ自動車販売も増加し、自動車メーカー各社は新車投入やフルモデルチェンジを行なっている。 それだけでなく自動車メーカー各社は、域内での重複した自動車生産を止め、完成車や部品の補完関係を構築しつつある。 東アジアで中国、韓国と国民車を作ったマレーシアを除いた主要国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシア、ベトナムで生産・販売が一位なのがトヨタ自動車である。

 アジアは雁行型の経済発展をしていると一般に言われている。日本が先頭を飛び、その後を台湾、韓国、香港、シンガポールの新興工業国(NIC's)と呼ばれた国が続いている。 そのあとをマレーシア、タイ、インドネシア等の国々が続き、中国、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーといった国々が続くといった形である。
現在、モータリゼーションに入った国として、日本を筆頭に台湾、韓国、マレーシア、タイくらいまでが該当すると思われる。

 1990年代に入ってからのアジアにおける自動車の需要には目を見張るものがある。 経済発展に連動して、一方的な右肩上がりで増加し、5年間でほぼ倍となり、1996年の販売台数は572万台になった。 この数字は日本国内の販売台数の82パーセントに相当する。
 ところが、過熱したアジア経済は、1997年半ばころから一気に暗転した。 通貨が急落して経済危機へと発展し、中でも深刻な韓国、タイ、インドネシアにおける自動車販売は急激に落ち込んで、1998年には30パーセント減になった。 しかし、その後は順調に回復して上昇カーブを描き、2000年には過去のピークを回復し、2001年の予想では600万台に達するとみられている。
 日本などにおける自動車の普及の進み具合から察すれば、国民の所得がある一定の水準を超えると、急激に売れ出す傾向がある。 その意味では、2007年、2008年ごろからは伸びが著しくなって、日本国内の販売台数を追い越すと予想され、そのさいには、日、米、欧に加えて、もう1つの巨大市場が生まれることになる。(53ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)

 このままいくと、2、3年後には日本を上まわり、10年後にはヨーロッパやアメリカの水準に達するものとみられている。 景気変動などで波はあるものの、日本や韓国の例からして、長期的には工業化の進展にともなう所得水準の向上によって上昇カーブを描いていくものとみられている。
 世界の自動車市場は、日本が600万〜700万台、欧州が1700万台、北米が1500万台であり、それから考えても、アジアでの増加分がいかに大きい数字かがわかろう。 それに、日、米、欧の市場はすでに成熟し、成長が止まっている。 したがって、2010年代にはアジアが世界一の市場となり、そののちもさらに拡大を続けていくことになる。(276〜277ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)

 アジア各国が発表している2000年での生産能力を合計すると、1995年末の807万台からほぼ倍増の1567万台にもなっている。 もし現在、アジア各国が立てている生産計画に基づいて生産されれば、完成車の輸入もあるから、500万台以上もの供給過剰に陥ることになる。(277〜278ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
 また、アジアーカーという試みも行われたが、旧型モデルを使い失敗に終った。
 1996年4月、本田が日本車メーカーとしては初めてアジア戦略カーの「シティ」を発売した。 続いて1997年1月、トヨタも「ソルーナ」を発売した。
      (中略)
 「シティ」は「シビック」をベースにしており、アジアのニーズに合った車として新たに専用設計されたものである。 全長は「シビック」よりやや短い4.225メートル、1300ccで、発売当初の価格は約167万円から188万円である。 現地調達率は70パーセントに達し、エンジンおよびトランスミッション以外の部品はほとんどASEAN諸国で生産されている。
 ちなみに品質は日本と同じ水準を要求することがむずかしいため、やや落としている。 そのため、いまのところアジア以外の地域への輸出はむずかしい。 生産および市場投入は120億円かけて建設されたアユタヤ工場のあるタイを皮切りに、台湾、マレーシア、インドネシア、フィリピン、パキスタン、インド、さらに将来は中国でも行う計画となっていたが、アジア経済の低迷で、予定どおりにことは進んでいない。
 1997年の生産台数は約4万から5万台に、1999年には10万台を見込んでいて、アジア最大の量産乗用車になる見込みであったが、まったく伸びを示さなかった。 しかし当初は「シティ」の売れ行きが好調だったことから、96年のアジアにおける本田四輪車の販売台数は倍増して9万1000台となった。
 一方、ASEAN域内ではトップを走るトヨタはタイで生産する「ソルーナ」を発売した。 いずれにしろ、問題はコストと品質である。日本的生産方式を持ち込んではいるが、技術、品質、生産性にはまだ問題がある。 部品および組み立ての現地メーカーの技術水準アップをどう図っていくかが今後の課題である。
 こうして数年は、順風にみえたアジア・カーだが、思わぬ落とし穴があって、やがて購買層から冷ややかな視線も浴びるようになってきた。 それは発展途上国において自動車を買うのは高額所得者層で見栄っ張りでもあるため、欧米や日本で販売されている車より品質が一段落ちるアジア・カーを敬遠しはじめたのである。
      (中略)
 昭和30年代の日本と似て、アジアにおいて車はステイタス・シンボルであるだけに、低価格車ではイメージダウンになるという消費者心理が微妙にはたらいたのである。 大衆レベルにまで普及するにはまだ間があるだけに、アジアに投入すべき車の性格づけにはなかなか難しいものがあって「ブランド価値」には十分に配慮する必要がある。
 このためトヨタでは、日本やヨーロッパで発売している世界戦略車「ヴィッツ」を2001年末までに、中国と同様タイでも生産を開始する計画である。 さらには、2004年に、新たな新興国戦略モデルのIMV(イノベイティッド・マルチ・パーパス・ビークル)もタイで生産開始する計画で本腰を入れつつある。
 一方、本田は2001年12月、世界戦略車「フィット」のプラットフォームを使ったアジア戦略車を2002年からタイの自社工場で生産し、2003年から日本に逆輸入することを発表したが、これによって、現在の4万5000台から7万台に生産台数を引き上げる予定である。 また、このアジア戦略車は中国、インドネシアでも生産する計画である。(287〜290ページ『トヨタvs.ベンツvs.ホンダ』)
 現在では、最新のクルマの1バリエーションとして東アジア独自の自動車を投入している。 乗用車ではトヨタのビィッツの4ドアセダンのヴォィス(Vios)、ホンダのシティ(日本名フィット・アリア)がある。 以前にヴィッツの4ドアセダンとしてプラッツが発売されたが、ヴォイスはプラッツとは異なる。

トヨタ ヴィオス ホンダ シティ

 さらに、最近ではアジア専用のクルマも開発されている。 タイで投入したIMVシリーズのハイラックスビーゴ、インドネシアのキジャン・イノーバ、ダイハツと共同開発した軽乗用車ベースのアバンザ/セニアなどがある。 特に、東南アジアを対象として開発されたイノーバは、ベトナム、インド、インドネシアで大きな成果をもたらした。 アバンザ/セニアはインドネシアで圧倒的な成功を収めた。 ハイラックスビーゴは、全世界を対象としているため、漸進的な成果を上げつつある。

 現在、アジアの自動車産業はマッキンゼー・モデルの5段階に入ったものと考えられる。 ホンダは中国からヨーロッパへ完成車とエンジン部品を輸出し、アジア価格で採算の厳しいヨーロッパビジネスの立て直しを図ろうとしている。 また、タイとインドネシアの完成車の相互流通も始まっている。  自動車部品のアセアン地域の相互流通では、トヨタとホンダが拡大している。

 インド、マレーシアにおいて軽自動車ベースの販売が増えている。 このことは法人・タクシー需要から個人需要にシフトしていることを表している。 このことは軽自動車ベースのアバンザ/セニアの成功したインドネシアでも見られる。 また、フィリピンではインドからアルト、インドネシアからアバンザ、APV等の軽自動車ベースのクルマが輸入販売されている。 その他、現代自動車や中国の奇瑞汽車のクルマが輸入されている。

台湾
 台湾は現在年間の自動車販売台数が約30万台強にまで下がっている。この台数の外に輸入車が15%程度ある。 日本の人口が1億2千万人強に対して、台湾は約2千万人である。 日本で年間約600万台の自動車が売れていることから考えれば、台湾では100万台程度売れても良いはずである。 これは小規模な国産化を行なっている工場が多いために、自動車価格が割高で、販売台数の頭を止めているものと考えられる。 つまり、小さな国内自動車市場での現地生産が、自動車の普及を妨げている。
 1980年代に乗用車輸出を試みたこともあったが、国内需要が下がったため、各社とも輸出を考えなくてはならない状況になっている。 世界一のパソコン生産国である。 徐々に輸入規制を緩和して自由化を行なっているが、今まで育成した自動車産業と部品産業を潰すわけにもいかず、大陸中国への進出に先んじた。 南方移転ということでアセアン諸国への海外進出を目論んだようであるが、アジアの金融危機で進展していないように思える。

 裕隆汽車(日産の提携先)が大陸中国で合弁で設立した風神汽車と、中華汽車(三菱の提携先)の東南汽車がある。 裕隆汽車が風神汽車の過半数の株式を持っていなかったこともあり、風神汽車は日産・東風汽車の合弁事業に組込まれてしまった。 裕隆汽車は日産・東風汽車の合弁事業をサポートする立場になった。

 中華汽車は福建省自動車工業公司と合弁で東南汽車を設立した。 2004年12月に、三菱自動車は東南汽車への出資の意向を発表した。 なお、裕隆汽車と中華汽車は同じ企業グループに属する企業である。 中華汽車は、軽商用車ベースのSUV(Varyca)を自社ブランドで台湾と中国で販売する他、中近東や中南米に輸出している。

 2006年から金利高や原油高により、自動車販売台数は前年比70%程度まで下がっている。

     台湾の自動車事情

韓国
 韓国では自動車産業は政府によって国家的戦略産業として位置づけられ、国際競争力強化を目指した政府によって業界再編成等の産業保護が行なわれてきた。 アジア金融危機にによって破綻した起亜自動車と子会社の亜細亜自動車を現代自動車が買収した。 また、ビック・ディールと呼ばれる事業交換によって大宇自動車が三星自動車を買収することになっていたが、失敗した。 三星自動車は日産自動車と提携していたこともあって、ルノーが買収することになった。
 1999年7月に大宇グループの破綻した。 財閥の大宇グループは事実上の財閥解体となり、大宇グループは大宇自動車を中心とした企業に編成し直される予定である。 GMがスズキとともに、大宇自動車の乗用車部門を買収した。 大宇自動車の商用車部門はインドのタタモータースに買収され、タタ大宇コマーシャルビークルになった。

 アメリカ・欧州を中心に輸出台数を伸ばしているが、価格の安さで売っている面が大きく、今後は自社ブランドの差別化のためのマーケティング活動が重視されている。

香港・シンガポール
香港・シンガポールは小さな国家なので、自動車産業育成は行なっていない。

アセアン
 ASEAN加盟10カ国が進めるAFTAが2003年から部分的に始まり、先行6カ国間(インドネシア、マレーシア、フィリッピン、シンガポール、タイ、ブルネイ)での域内貿易関税率がほとんど全ての製品で5%以下に引き下げられた。 計画では、新規加盟国のベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアも順次域内関税を5%以下に引き下げ、さらに先行6カ国は2010年までに、新規加盟国は2015年までに域内貿易関税を原則撤廃する予定である。  これに対して、トヨタはタイを1トンピックアップトラックの生産基地として、IMVプロジェクトを開始した。 また、インドネシアをキジャン・イノーバの生産基地にするとともに、ダイハツと共同でアバンザ/セニアを共同開発し、マレーシアやタイに輸出している。 自動車部品では、インドネシアのガソリンエンジン、フィリッピンのMTミッション、マレーシアのステアリングギアを相互流通している。

マレーシア
 アセアンの中で乗用車の普及率が高いのがマレーシアである。かつて台湾より小さな市場で、多数の自動車工場が存在していた。 これでは自動車産業は育成できないということで、国家プロジェクトとして自動車製造会社(Proton)を作り、大量生産のメリットを引き出そうとした。 プロトンには三菱自動車が、第二国民車と呼ばれている軽自動車のプロジェクトのカンチルはダイハツ工業が、二輪車はスズキがそれぞれ提携した。 2006年上半期では、第二国民車のカンチルのマイビィ(ダイハツブーン、トヨタパッソの姉妹車)が好調で、カンチルがプロトンを抜いて自動車販売1位になった。

 現在プロトンは成功しているが、アセアン経済圏形成によって、隣国のタイの自動車産業に負ける危険性が指摘されている。 プロトンは1997年に、イギリスのロータス社を買収し、2004年には三菱グループとの資本提携を解消した。 プロトンは新たにVWと資本提携を含まない、業務提携を結んだが、2006年1月に提携を断念した。 その後、三菱自動車とまた提携したが、その後も中国の奇瑞汽車やプジョーと提携を模索している。

     マレーシアの自動車産業について

タイ
 マレーシアの次にモータリゼーションに入ったのがタイである。 人口が5千5百万人とアセアンの国の中でも大きく、周囲にカンボジア、ラオス、ミヤンマー等の輸出できる国に囲まれている。 タイの自動車市場の特徴としては、乗用ピックアップトラックが圧倒的に多いことである。 乗用車は高くて買えないという中間管理職層が乗用車代わりに買う他、公共交通機関のかわりにタクシーやバスに改造して使用している。

 現在では、1トンピックアップトラックを中心として、アジアのデトロイトを目指して輸出基地になりつつある。 まず、1996年に三菱自動車が1トンピックアップトラック事業をタイに移管した。 いすゞがそれに続き、マツダはフォードと合弁会社オートアライアンス・タイ(AAT)を設立した。 トヨタ自動車は世界戦略車として、北米市場(アメリカ、カナダ、メキシコ)向け以外のハイラックスの生産をタイに移管した。 トヨタ自動車はエンジンを含む主要コンポーネントを国産化した。 2004年からIMVシリーズのハイラックスビーゴの生産が始まり、それまでタイで販売の一番多かったいすゞを抜き、乗用車と商用車で販売1位になった。 2005年にはIMVシリーズのSUVのフォーチュナーが追加された。 なお、日産自動車はタイでもピックアップトラックを生産しているが、日本の日産車体の工場で生産し、ほぼ全世界に輸出している。 日本製のピックアップとタイ製のそれとは、モデルが少し異なり、欧州等では日本製が上級モデル、タイ製が下級モデルとして販売している。

 乗用車とピックアップトラックともに販売台数はトヨタが一位である。輸出台数もトヨタが一位である。 乗用車ではトヨタとホンダ、ピックアップトラックではトヨタといすゞで販売台数の70〜80%のシェアーを持っている。 乗用車では、ホンダがフィットの4ドアセダンのフイットアリアを開発し、日本への輸出も開始している。 トヨタはヴィッツの4ドアセダンのヴィオスの生産を開始した。

 タイ政府は2007年になって、排気量1300cc以下のエコカーの優遇政策を発表した。 ホンダ、日産、スズキ、トヨタ、三菱、タタ(インド)が政府から計画が承認された。 VWの計画については、継続審査となっている。

 2010年3月からエコカーとして日産の次期マーチの生産が始まる計画である。 同年5月には、日本でもタイで生産された次期マーチが販売されることになる。 マッケンジー・モデル5に入り、新興国で安価に生産されたクルマが先進国で販売されることになるだろう。
その他、エタノール車の優遇税制も発表されている。 E20とE85についてである。フォード社、ホンダ、トヨタ等が上市した。

     IMVプロジェクトについて

     タイの自動車産業について

インドネシア
 アセアン諸国でもっとも人口の多い国で、自動車販売はタイに続いて、マレーシアに次いで3番目となっている。 ここ数年間は、30〜50万台程度の販売台数を上下している。現在は消費ブームである。 乗用車は贅沢品と考えられ、タイと同様に商用車ベースのクルマを乗用目的に使っている。 タイのピックアップトラックの販売台数が多いのに対して、インドネシアではバンタイプのクルマが多い。 それもインドネシア独自のクルマが多い。 トヨタIMVプロジェクトの一環として、2004年にキジャンをフルモデルチェンジして、キジャン・イノーバを発売した。 更に、IMVプロジェクトに準じて、ダイハツが軽自動車ベースの7〜8人乗りSUVのシニアを生産し、トヨタはこの車をアバンザとして販売している。 キジャン・イノーバとアバンザによって、トヨタとダイハツは大幅に販売台数を伸ばした。 キジャン・イノーバは、インドで生産され、タイ、フィリピン等に輸出されている。

 スズキと三菱は、10数年前から軽商用車ベースの7〜8人乗りのSUVを生産し・販売している。 スズキはこのクルマを2004年にフルモデルチェンジし、APVの名称で販売し、中近東等へ輸出を始めた。

     インドネシアの自動車産業について

フィリピン
 早くから自動車産業の発展が期待されていたが、政治の不安定により、大きな発展はしていない。 古くからジープニーという改造自動車も多く使われている。 そのためもあって、ピックアップトラックベースのSUVがかなりの比率を占めている。
 フォード社はアセアン内への乗用車輸出を開始しているが、他社の輸出はない。

 2009年に中古車輸入の禁止を強化し販売台数は増えているが、アセアン地域からの輸入が増え、生産台数は減っている。 自動車産業の集積地は、首都マニラ南部からバタンガス港までの狭い地域である。

     フィリピンの自動車産業について

ベトナム
 1991年のメコン自動車の認可に続き、その後次々に自動車会社の認可が下りた。 2006年に操業するホンダを入れると海外企業は12社となった。 これら合弁企業は、タクシーや法人需要を狙ったものであった。

 自動車会社よりも部品会社の方が数が少ないと喩えられる程に少ない。 更に、生産台数も10万台程度と少ないため、部品の現地化が進んでいない。 最初は、南部のホーチミン・シティに自動車会社が立地していたが、途中から北部の経済振興のためにハノイ周辺に自動車会社を誘致した。 更に、ホーチミン・シティとハノイの高速道路はまだ完成していない。 北部の中国国境まで中国側の高速道路をつながっている。 そのため、中国製の安い部品が流入できる環境が整っている。 もし、中国製の部品が流入し、ベトナムで組み立てるだけならば、ベトナムで競争力のある自動車産業の育成は難しくなる。 いまだに、ベトナムで自動車産業が育つかどうかが見えていない。 そのキーポイントになるのは、部品産業の育成であろう。

中国
 中国の開放改革政策は、1978年12月から始まった。
1980年代初めに、“技貿”ということで、クルマを売買契約に技術の無償提供を含んだ内容であった。 この時のなごりが海獅(ハイエース)やトヨタY型エンジンと言われている491型エンジンに残っている。 これらの技術を国の機関(工業技術センターのような)が、改良し、企業に提供している。 当時のエンジンはキャブレター仕様であったが、現在は電子噴射装置に改良されている。

 また、技術は国家が管理しているように見受けられ、フレーム、エンジン、ミッションを販売する企業が存在する。 結果として、それらの部品を買ってきて、上物ボディを自社でRVを生産する比較的小さな自動車会社が多い。 この時は各省がこぞって自動車産業育成に乗り出し、多くの自動車メーカーが乱立した。 今でもこの時のなごりが一部の商用車やエンジンに残っている。

 中国の自動車政策は、1980年代終わりから1990年代初めの『三大、三小、二微』の枠組みに収斂した。 これは120社以上乱立する中小の乗用車メーカーを三大、三小、二微の国有企業に集約して育成する構想であった。 三大は第一汽車、上海汽車、東風汽車で、VWが第一汽車と上海汽車と提携して、現地生産を行なっていた。 三小は北京汽車、天津汽車、広州汽車で、ダイムラークライスー社(当時、クライスラー社)が北京汽車と、ダイハツが天津汽車と合弁していた。 二微は、長安でスズキが、貴州で富士重工が合弁をしていた。 最近、『三大、三小、二微』に対し、2社程度の海外のメーカーと合弁をすることを政府が許可する政策が打ち出されるらしい。
 但し、自動車会社は国営企業が多く、外資は50%までの出資しか認められていない。 さらに、2グループまでの提携しか認めていない。 トヨタ自動車は第一汽車と広州汽車との合弁、ホンダは東風汽車と広州汽車と合弁を締結している。

 1994年に策定された自動車工業産業政策により、現地生産はまずは部品から入って、次にエンジン、その後完成車というプロセスが定められた。 なお、中国で完成車を生産する場合、部品の4割以上(金額ベース)を中国国内で調達しなければならない。 1996年8月に三菱には瀋陽とハルビン、トヨタには天津でエンジン生産を始めた。 ホンダも東風汽車と合弁でエンジンを生産している。 三菱の中国の自動車会社にエンジンを販売し、トヨタとホンダは自社のクルマにしか搭載しないようである。 その代わり、生産されたエンジンは輸出している。

 中国は2001年11月にWTO加盟し、輸入車の関税が漸次下がっている。 それまで排気量3.0リッターを超える車で80%だった関税が、03年には43%、2006年には25%まで引き下げられるスケジュールが決まっている。 現行40%の部品に対する関税も、2006年には10%まで下がる。 それに連れて中国国内で生産するクルマの価格も漸次値下げし、輸入車に対抗せざるを得なくなっている。

2009年に『4大4小』ということで、4大は第一汽車、東風汽車、上海汽車、長安汽車、4小は北京汽車、広州汽車、奇瑞汽車、重汽に集約していこうという構想である。 4小の中に奇瑞汽車が選ばれたことは、輸出や海外生産で成功したことが評価されたものと考えられる。 かつては、中国には無数の自動車会社があると思われていた。 実際には、関税引き下げ等にる競争激化によって、乗用車会社は20程度のグループまで減少したものと思われる。 破綻した会社の工場は、中国政府の“見える手”によって、再編成されたものと考えられる。
 中国政府は、健全な会社を無理に統合しようとは考えていないように思われる。 『4大4小』の枠組みに入っていない自動車会社でも、輸出や海外生産、電気自動車・ハイブリット車で成功すれば存続が認められる可能性があることを示している。 それ以外の自動車会社では、長豊汽車が広州汽車の傘下に入ったように『4大4小』の枠組みに入らざるを得ないのではなかろうか。

 また、2009年1月から、景気対策として1600cc以下の取得税を半分に引き下げた。 これにより、中国はエコカー優先の政策に転換したと考えられる。
また、2009年3月から年末まで、都市と農村の所得格差を解消を行なうために、三輪車や低速貨車を小型トラックに買い替える場合に補助金を出している。

2010年の上海万博のある年も内容は少し変更になったが、引き続き景気対策を続行させた。



   中国での日本自動車事情

インド
 中国に次ぐ世界2番目の人口を持つ国で、年間120万台を販売する国である。
 自動車産業の発祥は早かったが、今でもその頃のクルマであるアンバサッダー等が現役で生産されている。

1982年に、スズキがインド政府と折半で国民車のマルチ800を生産し始めた。 このことによって、自動車産業は発展していくことになった。 マルチ800を生産しているマルチ・ウドヨグ社は今でも、50%以上のシェアーを握っている。

 1980年代後半に、数社の日本メーカーが小型トラックの現地生産を始めた。 1990年代にタイタンを生産するサワラジマツダを除いて、すべて現地生産から撤退した。

 1990年代終わりに、産業自由化政策を打ち出した。 トヨタ、ホンダ、三菱を含む日欧米の自動車会社が進出した。 しかし、市場はマルチ800のような小型車が主流である。

 インドとタイのFTA条約の締結によって、トヨタはハイラックスビーゴのマニュアルミッションをタイに輸出する。 タイからインドへは、カローラのKD部品を輸出する。
 また、トヨタはダイハツと共同で、パッソ/ブーンを10万台生産を計画して、2011年にも生産に入る予定である。 マルチ・ウドグヨ、現代自動車が大半を占めている小型車市場に参入する。

 中国は人口抑制に成功したと言われている。しかし、インドでは人口が10億人を超えたと言われている。 クルマは質的な向上よりも、まだまた量的な増加が求められている。 今後とも、ホンダのシティ(フィット・アリア)以下のクラスが、需要の大部分を占めている。

 原油高等によりリセッションに陥っているが、将来の発展を期待して、各社とも小型車の工場を建設して、販売台数も増加している。 スズキはAスターをスズキと日産ブランドで欧州に輸出している。 近い将来、小型車を欧州に輸出する基地になると期待されている。

     インドの自動車産業

オーストラリア
 オーストラリアの人口は約2,000万人と少なく、自動車需要は100万台弱の状態が続いている。 乗用車を国産化してるのはトヨタ、GM、フォードの3社である。 2008年3月末で、三菱自動車は現地生産から撤退した。 政府は自動車産業を重要産業とみており、環境対応車生産の基地としたい計画を持っている。

     オーストラリアの自動車事情


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