色打掛
まずは、全体像から見てみましょう。

色打掛は、
白無垢と同格の婚礼の式服。
染め付けや刺繍で、松竹梅や宝船などの吉祥文様を現し、
大変鮮やかな打ち掛けにしあげたもの。
色使いは、原色系をあからさまにぶつけ合う表現ながら、
大変調和よく、けばけばしさのない、落ち着いた雰囲気の
打ち掛けに仕上がる。
あらためて、日本の着物の歴史と洗練度を思い知らされる。
昨今、結婚式を和装で行うことは希になってきた。
家同志の結婚とういう概念が薄れてきたということを
考えると、仕方のないことかもしれないが、
衣装、格式ともに、洋式のものに劣ることはないと思われる。
着物を着る機会が少なくなったからこそ、改めて
その良さを再認識してもらいたい。
和装での婚礼は神前式が多い。
昔は、家同志の結婚という意味が非常に強かったが
現在ではそれほど気にすることはないだろう。
媒酌人がいないこともある。(恋愛だからね。)
神前式
神前式は神様の前で結婚を執り行うもの。
右に新郎、左に新婦。後ろに親族が血縁の近い順に入場。
斎主(いわいぬし)とともに、神様に一礼。
神前をお祓いし、続いて、巫女、新郎新婦、親族と
神に近い順にお祓いで清める。
続いて、斎主が神様に、新郎新婦が結婚する事を報告する。
祝詞の奏上である。
続いて、三三九度、あるいは三献の儀をおこなう。
最近は三献の儀がほとんどである。
つぎは、いよいよ、新郎が一歩神前に進み出て、誓いの言葉を
読み上げ、新婦は自分の名を書き添える。
(新郎がもっとも緊張する瞬間である)
それを玉串案(台)の上に置く。
玉串を神に捧げ、新郎新婦が二礼二拍手一礼。
参列者も、二礼二拍手一礼。
参列者が御神酒を三度にわけて飲む。
最後に、斎主が、婚礼の儀が滞り無く行われたことを
神に感謝して拝礼し、一同これにならい無事婚儀は完了する。
親族としてさんかしていても、結構みが引き締まります。
斎主
いわいぬし、さいしゅ
神を祀る人
巫女
神子とも
神につかえて神事を執り行う者。
古来、未婚の女性が多い。
三三九度
本来、三三九度は、 新郎、新婦、新郎
新婦、新郎、新婦
新郎、新婦、新郎
の順で三度ずつ、計九回のむのでこの呼び名があるようです。
大中小の杯に御神酒をいれ、三度づつ九回飲む。
名前のいわれは、三が縁起がよく、九はその最高で
酒を酌み交わすことに、親睦を深める意味があったとか、
酒は、栄える(さかえる)と忌みを避ける(さける)のごろから
祝い事に飲み交わすなど、いろいろ説はあるようですが、
はっきりしません。次第に形式化していったのでしょう。
形式としては、伊勢流と小笠原流とを源流にしているそうです。
流派があったんですね。
対して、
三献の儀は、
新郎から新婦
新婦から新郎
そして新郎から新婦へ と三度おこなうから三献の儀といわれます。
現在、神前式では、三献の儀が大半です。
両者がごっちゃになっているようなので、区別しておきましょう。
小笠原流
室町時代、三代将軍義満の命により、小笠原長秀が武家の礼法を
体系化して成立したもの。
成立過程は、頼朝決起のときに、水面下で働いた関東源氏のなかで、
馬術、弓術にすぐれていた、清和天皇の子孫にあたる(清和源氏)
小笠原氏が
武芸と礼法について長い年月を積み重ね、古来よりの
作法をとりいれてできあがったもので、経緯はかなり複雑。
詳しくは、小笠原礼法
をご覧ください。
伊勢流
小笠原流と同様、室町時代からの礼法。
伊勢貞継により創始された。
豊臣秀吉の子秀頼と、徳川家康の内孫にあたる千姫との婚礼(政略結婚でしたが)
は、伊勢流で行われたそうです。
この後の、豊臣滅亡、徳川安泰の天下で、安定した社会情勢のもと
町民文化が栄え、武家で、一子相伝とされた礼法が、一般庶民にまで
ひろくひろがり、結納や婚礼の作法ができあがって現在に至っています。
左大臣と右大臣
庶民の儀式が定着してきた頃、男性優位の社会でしたから、
古来より、左大臣は右大臣より格が上というきまりにそって
神様からみて、花婿が左になるように、
花婿が右、花嫁が左ときまってしまいました。
しかし、輸入元の中国では、右大臣のほうが上でしたし、
自分たちにしてみれば、左右逆なわけで
新郎は右なわけですし...。
あんまり、きにすることはないようです。
実際、集合写真を撮るときに、写真屋さんに聞いてみたら、
確かに、原則新郎が左だが、逆になっても、特に問題はない、
とのことでした。
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