8. 自 然 流
(2004. 12)
数年前に岡山で初めての個展を開いた時、知り合いの画家から一枚の色紙をい
ただいてはっとさせられた。その色紙には「美しき自然 心で見て すなおにうつす」
と書かれていたからだ。多分、私の作品を見て作意がありすぎるのを感じられて書
いてくれたのだろうと思う。また、その前年には「白籏史朗賞・山岳写真コンテスト」の
総評の中で白籏史朗先生から私の作品に対して「・・やや力みすぎが柔軟さを欠くこ
とになっていはしまいか」と指摘されていた。
その頃の私は、年に1回、「白籏史朗賞・山
岳写真コンテスト」にだけ作品を出すことを励
みにしていた頃で、最初に金賞をいただいた
事もあり、今度はグランプリが取れるような凄
い写真を撮りたいと、そんな事ばかりを考えて
いたのだった。 そのため、写す前から出来上
がった写真の事ばかり考えて、写真を写すの
ではなく無理やり「作品」を作っていたような気
がする。2人の先生はそのことをちゃんと見抜
いてしまっていたのだ。
色紙の言葉はその事を私に気づかせてくれた。
それ以来「心で見て・素直に写す」ことを心が
け、派手な色彩ばかりを追うことや、無理に特
殊技法を使うのをやめるようにした。そして、素
直な気持ちでモチーフをじっくり見るようにした。
自分の心の琴線に触れるのは何かを、はっきりと見極めるように心がけた。
とにかくよく見ることにした。
幸い私には北穂高岳で過ごした豊富な経験があった。北穂へは100回以上登って
いるし、頂上で過ごした日数も400日くらいになる。頂上で迎えた日の出なども同じ
回数だけ経験しているから少々のことには驚かないし、目の前にひろがる景色の値
打ちがどの程度の物なのかわかるような気がする。初めての人なら何を見ても感激
するだろうが、何度も何度も見ていると、それがありふれたことなのか、滅多にない
貴重なチャンスなのかがわかるのだ。逆に言えば、チャンスの真の値打ちというも
のは何度も何度も通った後でないとわからないとも言える。
そうした目でじっくり見ていると、今、何に感動しているのかわかってくるようになる。
何を写すべきなのかもわかってくる。すると、フレーミングやシャッターチャンスは自然
に決まってくるのだ。そうなると、気持ちもすごく楽になった。ややこしいことを色々考
える必要もない。自然な心の動きに任せておけばいいのだから。
こうした自然流を心がけるようになると、山での気持ちまで変わってきた。それまで
はせっかく行った山が悪天候続きだったりするといらいらして、つい腐ってしまったも
のだが、最近では「そのうち良い時も来る・・・」と思っておれるようになった。
昨年、北穂へは6回、延べ日数で31日行ったが、晴天はたったの6日だけで後は
雨と霧ばかりで何も見えなかった。それでも「山は天気の悪いのが本来の姿なのかも
知れない・・・」などと考えてのんびり過ごすことが出来た。
だけど考えてみると、最近になってこんなふうに自然体でおられるようになってきたの
は、年を重ね、年をとってきたせいかも知れない・・・とも思っている。そして今でも足が
痛いともそんなにしんどいとも思わず、昔とあまり変わらない山行が出来るのは本当に
有り難いことだと思って感謝している。
だから、元気で山へ行けること自体が有り難い!、と心底から思えるようになって
はじめて、自然体でおられるようになるのではないか、とも思う。
