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1999年5月29、30日に、岡山大学考古学資料館の一般公開がありました。岡
山大学創立50周年記念事業の大学公開の1つでした。
| 楯築弥生墳丘墓の『弧帯石』と『亀石』、『弧帯紋』 |

『で、この隣にあるのが弧帯石です。これは実物です。楯築遺跡の棺の上にばらばら
に砕いた状態で置いてありました。集めて復旧してみますとこうなったのです。亀石の
ミニチュア版でしょう。当時は本物はまつっておいて、ミニチュア版をつくってそれを
ばらばらに壊してお墓の上に置いたのですね。』
『この亀石も長い事いつごろのものかわからなかったのです。普通江戸時代のものと
言われていました。でもこの弧帯石の発見で、弥生時代からずっとまつられてきたもの
だということがわかりました。』
たんたんとした説明ですが、な、なんと重大な事実がごく最近わかったようなのです
。専門の方達には20年も前に聞いた話かもしれませんが、当時の話題は聞き流した私
にはとても新鮮に思えたのでした。
「この線って、どうやって付けたのでしょうね。たがねのようなもので彫ったように
見えますけど」
『あ、当時は鉄器がたくさん普及していましたから・・』
この目玉がつらなったような文様は『弧帯紋』と名付けられているようです。当時の
吉備ではこの文様がポピュラーだったのでしょうか。少し離れたところに「都月坂1号
墳」の「特殊器台形埴輪」が展示してありましたが、それにもいちめんにこの『弧帯紋
』がほどこされていました。並んでいた楯築の「特殊器台形土器」のほうでは、復元の
石膏部分が多かったせいでしょうか。『弧帯紋』も見うけられるのですが少なかった印
象をうけました。
それともう1つ興味を引いたのは、「亀石」の角にどうみても人の顔らしい文様があ ることでした。まるで「人面石」といった雰囲気で気持ち悪く浮かび上がっているので す。じっと見つめていましたら、隣から詳しそうな年輩の方が「あ、これは後世に彫ら れたということになっているようですよ。」と注釈をいれてくれました。どうみても整 合性がなさそうですよね。でも本当はどうなんでしょう。
| 朱 |
弥生時代最大の墳丘墓といわれる楯築遺跡でもう1つ注目されたのは大量な『朱』の
存在です。棺のなかにあったそうで、朱で満たされていたといってもいいらしいです。
「不老長寿」の薬と言われたらしく卑弥呼も好んだということをどこかで聞いた記憶が
あります。発掘当時の新聞なので読んだ記憶はあるのですがはたしてどんなものか。大
変興味があったのですが、今回展示してありました。
| 特殊器台形土器と特殊器台形埴輪 |
そのほかにも、兵庫県揖保郡の権現山51号墳の三角縁神獣鏡、岡山県北の高原地帯にある「恩原遺跡群」の旧石器、瀬戸内一体から発掘された「製塩土器」の数々は、ここならではの珍しいもので、せっかくの機会でしたから何回も見せていただきました。
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| 楯築遺跡の特殊器台形土器 | 都月坂1号墳の特殊器台形埴輪 |