
倉敷市白楽町 (くらしきしばくろちょう)
●連絡 E-mail送信 (&自己紹介)倉敷市白楽町は、私が1991年10月より居住している街です。この街のこ とについても、何か記録に残しておこうと考えました。 ■白楽市村(現在の白楽町、老松町4丁目、中央2丁目、南町) 江戸〜明治22年の村名。『備中誌』によれば、もと戎市があり牛馬の取引が あったことが村名の由来という。市場という地名も残っている。 『岡山藩領手鑑』(文化年間)では、高436石余、直高1325石余、池田 和泉給地(天城池田氏)、田39町9反余、畑23町5反余、樋23、橋1、井 戸40、家数60、人数344、牛24とある。また『旧高旧領取調帳』(明治 初年)には、白楽市村 968.935石(岡山藩領、天城池田氏)と記されている。 この地の庄屋であった渡邊家で、元和年間に市左衛門が提出した由緒書によれ ば、帰農後は抱田畑67町余、高930石余、譜代家来38軒(123人)の大 農経営であったことが記されている。現在、渡邊氏は市坡氏を称している。 明治9年9月に、白楽市新田村飛地を合併する。 ■『備中誌』の記述 白楽市 此地もと戎市有しより名付たるよし云伝へし也大内郷の内阿知庄也 高九百六拾五石四合 元禄四百参拾弐石八升 摩尼山西方寺青蓮院 真言宗 西阿知編照院末寺也 寺内貢税の地也 本尊阿弥陀仏 開山智空上人 昔笹沖葦高宮の別当にて安楽寺と云寛文年中備前領分神道と成てより転して今 は井上氏祠官と成れり 往古都て此あたりは海中也いつれの頃よりか新墾田の地と成市場と成白楽市と いふも此名残れり寛永二年御検地有と云 葦高社海中に在し時は八月十三日此白楽市迄船にて渡らせ給ひ沖の宮にて一夜 宿らせ奉り其あたりの産子共詣て翌十四日元宮へ還らせ給ひしと也其後沖四十 瀬西沖等の村々出来てより古例の如く十三日は笹沖より白楽市を歴て沖の宮に 泊らせ給ひ十四日西沖へ通りて還らせ給ふ事と成往古御社は白楽市村より支配 せし物にては彼村上氏か寄付の獅子頭太鼓其外神具等昔より伝はれり白楽市何 某氏の家に世々預り祭礼の節神輿の御供終れは又彼家に受取る事とす 此村の西北渋江村より流るゝ小川有此樋を馬場の樋と云昔沖の宮と云より此処 迄一面の馬場にて有しと也 ※吉田研一編『備中誌』(日本文教出版、昭和52年復刻) ■白楽市新田村(現在の西中新田) 江戸〜明治13年の村名。元和5年(1619)に、阿智潟の一部が開発されてで きた新田村で、白楽市村の枝村になる。『旧高旧領取調帳』(明治初年)では、 白楽市新田村 816.802石(鴨方藩領)となっている。 明治9年9月に、田ノ上村・白楽市村の飛地とともに白楽市新田村になった。 そして、明治13年12月8日に西中新田村となった。 現在、この地には倉敷市役所がある。 この後、明治22年6月1日に葦高村、明治34年4月1日に大高村、昭和2 年4月1日に倉敷町、そして昭和3年4月1日に倉敷市となって、現在に至って いる。 <寺社> ◆青蓮院…真言の寺院。開山は智空。往時には、安楽寺と称しており、足高神社の 別当として足高山にあった。寛文年中に、岡山藩の政策によって現在地 に移転した。境内に、足高神社の元神官渡邊市郎右衛門が藩主池田忠雄 と懇意であり、没後に菩提を弔うために造った「清泰祠」がある。 <葦高村地主録> 明治23年7月 23円88銭5厘 岩田藤太郎 19円47銭3厘 板谷 孫平 29円98銭5厘 板谷常三郎 21円 1銭9厘 板谷久太郎 15円29銭1厘 羽原勘太郎 27円15銭9厘 羽原悦太郎 23円14銭1厘 羽原善次郎 30円70銭8厘 林 和歌治 17円91銭4厘 林 伝三郎 20円32銭5厘 岡本秀五郎 48円36銭8厘 小川儀三郎 29円75銭7厘 小川岩次郎 28円48銭8厘 岡本熊太郎 27円43銭5厘 小野 定吉 53円33銭7厘 小野久次郎 35円79銭7厘 小野孫三郎 18円26銭3厘 小野亀太郎 28円46銭4厘 若林久米八 21円61銭2厘 渡邊 倉吉 35円58銭8厘 渡邊浅次郎 43円28銭7厘 渡邊 清作 32円36銭7厘 渡邊常三郎 21円 6銭4厘 渡邊重次郎 26円14銭7厘 亀山房次郎 121円84銭5厘 神埼代次郎 17円57銭1厘 神埼 理吉 27円13銭9厘 神埼庄五郎 20円18銭9厘 亀山安次郎 22円29銭1厘 高谷嘉次松 38円20銭8厘 高谷呉三郎 36円 9銭5厘 高谷秀次郎 60円37銭7厘 高谷 治作 94円36銭7厘 高谷 順夫 15円10銭6厘 高谷八三郎 28円17銭 武内 敬作 22円90銭3厘 武内政一郎 36円88銭8厘 武内安次郎 19円23銭3厘 美濃 五八 15円20銭4厘 白神 鉄平 20円67銭6厘 平松 伴蔵 これによっては、旧「白楽市村」に範囲を限定することができない。 白楽市村には、突出した大金持ちはいなかったようである。 ※『都道府県別資産家地主総覧[岡山編1、2]』(渋谷隆一編、日本図書センター、1988) 明治23年の岡山縣地主録が掲載されている。 <岡山県名誉職員録> 大正15年 ◇大高村 村 長 年報 660 林 源一 助 役 同 660 小野 丈平 収 入 役 月給 52 原 豊三郎 村会議員 神埼石五郎 同 小野 哲夫 同 藤原 橘郎 同 小野 躬一 同 梶谷鶴太郎 同 永瀬市三郎 同 近藤 希二 同 内藤幾太郎 同 白神 種二 同 小野 丈平 同 市場 荘平 同 亀山森次郎 同 小野真三郎 同 渡邊 常吉 同 羽原 欽一 同 渡邊健太郎 同 白神 坂蔵 ※『岡山県名誉職員録 付町村制条例』 大正15年4月 ◆市坡槐軒(荘平) 市坡槐軒(荘平)翁の石碑 青蓮院境内 槐軒翁之碑 大正15年1月 三好敬堂撰 井上雄風編著『拓本集覧 倉敷と周辺の碑』(昭和50年) 市坡槐軒…通称荘平、諱惇忠、字徳卿、号槐軒、安政4年−昭和3年 72歳 神埼雪堂に句を、羽栗翠屋に書を、森田月頼に詩文を、犬飼松窓に経義を学んだ。 後に自宅に塾を開き教えを請う者数百。日露戦役の功により勲八等白色桐葉章受賞。 大高村村会議員 墓碑銘に 克読克誨 啓蒙養賢 学深徳大 名実倶全 足山之月 梁水之煙 赫灼伝跡 君子万年 ◆清泰祠 白楽市村清泰祠 私曽祖父市郎右ヱ門と申者備中白楽市村御百 姓仕居申候処備前宰相様御懇意に付名字御 赦免被遊其後は渡邉市郎右ヱ門と申候御他 界以後不詳右之寺内一畝十二歩之地を借其所にテ 四尺四方の御位牌所を建其上に壱間四方之上 覆仕乍恐清泰祠と奉御名付八十七年以前宝 永壬申の年より私迄四代奉尊敬候尤右一畝 十二歩之御年貢毎年私より払上申候此覆殊 外破損仕候付此度修理仕度候願之通被仰付候 ハヽ難有可奉存候 備中白楽市村 喜三郎 享保三戌三月三日 右書付之趣御年寄中江御噂仕候処御指 図は不被成候勝手次第と申渡候様にと被 仰候付右之趣西村小四兵衛ニ申渡 『撮要録』下巻(吉田研一編、日本文教出版株式会社、昭和40年) 雑留46 ◆明治30年ごろ「川辺村」 大日本帝国陸地測量部 明治32年9月発行 1/20,000
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