小さな橋の博物館 ロゴ

 「F&A」 インタビュー記事抜粋  (写真・経歴等一部省略しています)


F&A表紙
 

  岡山を知る印刷・出版文化情報誌  

F&A (Future&Advance)

1998 Vol.24

特集○岡山の流れ橋

 

 ひ・と・往・来 

   流れ橋は生活の知恵が   
     生みだしてきたものです   

           わたなべたかお   


 

流れ橋とはどんなものかわかりやすく説明してください

 大水のときに流れてきた流木や塵芥が橋に引っかかると、そこがダムのようになって河川の流れを邪魔 して堤防が決壊したり、橋自体が流失するんです。それらを防ぐために、初めから流れることを前提に架 設された橋です。
 その特徴は堤防より低い位置に橋が架かっていて、橋脚と橋板が固定されていないことです。ただたん に橋脚の上に橋板を置いているだけで、大水のときに橋板が浮き上がって流出する構造になっています。 でも、橋板相互はワイヤロープで結束され一端が固定してあるので流失はしないんです。水が引いたら流 出した橋板を手繰り寄せ、そのまま残っている橋脚に乗せれば復旧できます。

現在の流れ橋のルーツをお聞かせください

 昭和三十年代初めまでには、いまある流れ橋の原型があったと思います。それ以前にもあったでしょう が、その歴史を流れ橋がある地元の方にたずねても、詳しいことがわからないんです。そこで前近代の橋 を調べてみたんです。そのまま流れ橋につながるとは思いませんが、「船橋」※や「九十九橋」※などが 構造・機能的に似ていると思います。
 岡山にも江戸中期に、いまの岡山市出石町あたりの旭川に「後園の仮橋」という橋が架かっていました。 洪水になるたびに、橋板を外すのが町内の人の役目になっていたようです。その作業中に町役人が、川に 落ちて死んだという記録も残っています。
 どの橋も河川の流れをスムーズにするという点では流れ橋と同じだと思います。

なぜ日本では流れ橋が必要だったのでしょうか

 日本は国土が狭く、約七十パーセントが山なので、水源から河川までの距離が短く高度差もあるわけで す。加えて雨量も多く集中的に降るという気候的な条件があります。降った雨は山から川へ流れ、一気に 「暴れ川」になってしまうんです。そのため橋を架けることが困難なうえに容易に流されたんです。そこ で、河川の流れという大自然に逆らうのではなく、共存することを考えたのではないでしょうか。
 で、いまはというと、需要と供給の関係でしょうね。経済的に負担になる永久橋を架けるほど利用はな いが、川を渡るためには橋が必要なので仮設の橋を架けるのだと思います。
 つまり、田畑や山へ永久橋を渡っていくと遠回りになる限られた人の近道として、流れ橋が必要だった のだと思います。しかし、農耕が機械化され便利になったぶん、流れ橋を渡る機会がなくなり、利用され なくなったということもあります。

岡山の流れ橋を調べようと思ったきっかけをお聞かせください

 学生時代に京都の「上津屋橋」※という流れ橋を見て、おもしろい橋だなあと印象に残ったのが始まり です。その後、忘れていたんですが現在の職場に就職し、研究テーマを考えようと休みの日に岡山県内の あちこちの橋を見て歩いたんです。最初は橋の親柱※や高欄※の意匠を探していたんです。その過程の中 で、矢掛の「観月橋」という流れ橋を見つけ、岡山にも大小の流れ橋があることを初めて知りました。そ れから研究が始まったんです。

岡山の流れ橋は公設ですか私設ですか

 小規模なものはほとんど個人など特定少数でつくっていますが、大きいものになるとその地域の何十世 帯という方がかかわっています。もちろん市町村が管理しているという例もあります。

流出とか崩壊という場合はどのようにしているんでしょうか

 通常の流出での復旧作業は利用者が架け直しています。橋全体の崩壊による修繕や橋板の新調などは市 町村が行うという場合もあります。大きな橋になると利用者だけでは対処できないので、市町村が業者い 頼んで重機で橋板を集めて復旧しているようですね。

岡山の流れ橋の数と多い場所をお教えください

 本当に小さい一径間※に二メートル程度のバタ板を架け、ロープでつないだものも含めて六十くらいあ ります。大きいものでは八十メートル以上のものがあります。矢掛の「観月橋」や手摺りのついた現代的 な建部町の「三本松八幡上橋・下橋」や全部が木造の落合町の「横部橋」などです。
 橋脚は必ずしも木やコンクリートパイルだけじゃなくて、木枠や蛇籠※の中に石を詰めた橋脚とか、昔 の形態を保っているものも少なからずあります。
 岡山県中北部の中・小河川、とくに高梁川の支流・小田川、旭川の支流・宇甘川、さらにその支流域な どには大小さまざまな流れ橋が集中的に見られます。

私たちはたぶん流れ橋を見てはいるんでしょうけどふだん見てもわからないんでは…

 そうですね。ふだん見てもただ普通に架かってるだけですから。流れているところを見ても、何かわか らないと思いますよ。橋が流れている、壊れている橋がある、そんな感じですね。一連の過程を追って初 めてわかります。

岡山の流れ橋の中で一番古いのはどの橋ですか

 古い形態を残している橋でしたら、橋板も橋脚も手摺りも全部が木造の落合町の「横部橋」だと思いま す。いつごろのものかは管理している方に聞いても大昔からあるというぐらいで、ちょっとさかのぼれな いんですよ。
 けっきょく、流れ橋はあってあたりまえのものだから逆に記録にないんだと思います。流れ橋の利用者 の方は「流れ橋」というたずね方だとわからないんですよ。「増水したときに流れる橋」と説明をしない と。ごくあたりまえの生活の一部なので、あまり意識にないみたいですね。

岡山の流れ橋は減少しているんですか

 利用している高齢の方が中心となって復旧作業をしていますから、その方が亡くなられたらそれを機会 に橋もなくなったりします。また、山林や農耕作業を放棄したのを機会に自然消滅したりしています。あ と、護岸整備にあわせて行政に、流れ橋を永久橋に変えてもらうというところもあります。
 それと自動車の普及により必要性が少なくなってきたというところもあります。車を利用すれば永久橋 まではすぐですから。
 しかし、流れ橋はいかにして川を渡るかというくふうの結果です。人間の生活の知恵が生み出してきた ものなんです。
 いま、大切な文化が少なくなっていますけど、そういう橋を許容する余裕があってもいいんじゃないで しょうか。

※船橋…川に浮かべた船を鎖でつないだ上に板を乗せて橋としたもの。設置も撤去も容易。流木・塵芥が 流れてくると真中で切って流すこともあった。万葉の歌や能にも登場する。
※九十九橋…越前福井にあった半分が木造で半分が石造の橋。戦のときや洪水のときに木造の部分を壊し、 その後石造の部分を手がかりに橋を復旧していた。現在は残っていないが浮世絵などに見ることができる。
※上津屋橋…木造の流れ橋として国内最大のもの。全長三五六・五メートル。時代劇の撮影に使用された り、中学二年国語の教科書にも登場する有名な橋。
※親柱…高欄の一部で、橋の両端に設ける柱。
※高欄…歩行者の安全のために橋路面の側端に沿って地覆上に設ける柵あるいは壁状の安全施設。
※径間…支柱から支柱までの間隔。
※蛇籠…丸く細長く粗く編んだ籠の中に栗石や砕石などを詰めたもの。


 この他、下記の「岡山の流れ橋」紹介や聞き取りがあります。

●旭川に架かる三本松八幡上橋・下橋(御津郡建部町建部) 中州をはさんで架かる二橋
 
●宇甘川に架かる橋 (御津郡御津町金川) 町並みの裏にある橋
 
●豊岡川に架かる橋 (御津郡加茂川町大木) 橋板が細くて短い橋
 
●宇甘川に架かる橋 (御津郡加茂川町下加茂) 自然な状態をいかした橋
 
●梶並川に架かる橋 (勝田郡勝田町中右手) 堰の通水部を利用した橋
 
●備中川に架かる横部橋 (真庭郡落合町下方) 歴史を感じる木造の橋
 
●日名川に架かる橋 (川上郡成羽町下日名) 橋脚の短い橋
 
●誕生寺川に架かる橋 (久米郡久米南町下二ケ) 蛇籠の橋脚がめずらしい橋
 
●加茂川に架かるカジヤ橋 (苫田郡加茂町知和大ケ原) 永久橋にできないから流れ橋
 
●小田川に架かる北畑橋 (小田郡矢掛町〜笠岡市) 橋脚の長い橋
 
●小田川に架かる野宮橋 (小田郡矢掛町) 二つの橋が一つになった橋
 
●小田川に架かる橋 (小田郡芳井町西屋) となりの地区へいくための橋
 
●旭川に架かる茶寮の橋 (岡山市後楽園) 個人が市に譲渡した橋
 


 岡山を知る印刷・出版文化情報誌 F&A 1998 Vol.24 特集○岡山の流れ橋 
   富士印刷株式会社出版事業部  平成10年7月31日発行  年4回発行

★書名(タイトル)のFはFuture=未来、AはAvance=前進の意。岡山県内の印刷、出版、文化の情報を広く紹介することに よって、文化県岡山の発展の一助となることの願いをこめて。とのことです。

★この「岡山の流れ橋」特集号をはじめ、『F&A』誌のバックナンバーは岡山県内の図書館で閲覧できます。

★また『F&A』誌を定期に入手したい方は、下記宛に申し込むと送ってくれます。

 富士印刷株式会社(出版事業部)…岡山市桑野516−3 電話086−276−1331

 URL http://www.fuji-printing.net/


◆◆◆ F&Aバックナンバー ◆◆◆

・Vol. 1 特集○秋の一日絵画にふれる <平成3年10月>
      絵は人間が創り出したもっともすばらしい芸術です 山本遺太郎(やまもといたろう)
・Vol. 2 特集○岡山の酒とラベルと <平成4年1月>
      ラベルは商品の顔 ラベルにみあった酒造りを 西原礼之助(にしはられいのすけ)
・Vol. 3 特集○下津井節と北前船−その一考察 <平成4年4月>
      郷土史は詩の発見の道具です 下津井には詩情があふれています 角田直一(かどたなおいち)
・Vol. 4 特集○岡山の街道見聞記 <平成4年7月>
      近代化で街道は変わってしまった 緑川洋一(みどりかわよういち)
・Vol. 5 特集○郷土の味“ばらずし” <平成4年11月>
      おすしはお祭りの楽しみな食べ物でした 今田節子(いまだせつこ)
・Vol. 6 特集○備中売薬と返魂丹 <平成5年1月>
      備中売薬の底力には感心します 鷲見十三生(わしみとみお)
・Vol. 7 特集○岡山の路面電車 <平成5年4月>
      高齢化社会の安全で確実な乗り物です 楢村普典(ならむらひろつね)
・Vol. 8 特集○おかやま京橋今昔 <平成5年7月>
      京橋かいわいは岡山の中心地でした 蓬郷 巌(ほうごういわお)
<創刊から2年間の軌跡>
・Vol. 9 特集○高瀬舟と吉井川・旭川・高梁川 <平成5年10月>
      高瀬舟は文化も各地へ運んでいました 湯浅照弘(ゆあさてるひろ)
・Vol.10 特集○岡山の鬼たち <平成6年1月>
      桃太郎ばなしと温羅伝説とはまったくちがうもの 同前峰雄(どうぜんみねお)
・Vol.11 特集○岡山の映画の時代 <平成6年4月>
      映画は何よりの娯楽だったんです 松田完一(まつださだかず)
・Vol.12 特集○岡山の方言を探る <平成6年8月>
      方言は国の無形文化財です 十河直樹(そごうなおき)
・Vol.13 特集○岡山の赤米 <平成6年12月>
      お米は日本の大切な文化です 鶴藤鹿忠(つるふじしかただ)
・Vol.14 特集○岡山の相撲 <平成7年3月>
      神社で盛んになった庶民文化です 二宮晧朔(にのみやこうさく)
・Vol.15 特集○岡山の水 <平成7年6月>
      川を汚さないようにするということがすごく大事なことなんです 青山 勲(あおやまいさお)
・Vol.16 特集○おまけの『カバヤ文庫』 <平成7年10月>
      トップの決断があったからこそできたことです 原 敏(はらさとし)
・Vol.17 特集○岡山の石−伝説・謎・創造 <平成8年1月>
      石はいろんな文化のもとになっているんです 宗田克己(そうだかつみ)
・Vol.18 特集○岡山の塩−塩田と塩の道 <平成8年5月>
      塩が交易路を開拓していったんです 近藤義郎(こんどうよしろう)
・Vol.19 特集○備中町の備中漆 <平成9年1月>
      漆の木には石灰岩の土質がええんです 芳賀重夫(はがしげお)
・Vol.20 特集○岡山で活躍した2人の異人 <平成9年5月>
      お雇い外国人が日本にもたらした恩恵はとても大きいです 改発邦彦(かいはつくにひこ)
・Vol.21 特集○麦稈真田の盛衰をたどる <平成9年8月>
      麦稈真田は日本の重要産業だったんです 原田 力(はらだつよし)
・Vol.22 特集○岡山の伝統的和菓子 <平成9年12月>
      和菓子は地域の歴史や生活文化に密着しています 太郎良裕子(たろうらゆうこ)
・Vol.23 特集○岡山県古代吉備文化財センターを知る <平成10年3月>
      古代の人たちの知恵や技術は私たちの生活の基盤になっています 藪本克之(やぶもとかつゆき)
・Vol.24 特集○岡山の流れ橋 <平成10年7月>
      流れ橋は生活の知恵が生みだしてきたものなんです 渡邉隆男(わたなべたかお)
・Vol.25 特集○岡山の醤油 <平成10年12月>
      岡山のお醤油は旨味が強く本当においしいんです 三宅紹資(みやけつぐし)
・Vol.26 特集○名刀備前長船 <平成11年4月>
      戦国大名は必ず一振りは備前の名刀をもっていたんです 大谷博志(おおたにひろし)
・Vol.27 特集○岡山の農村歌舞伎 <平成11年7月>
      舞台に立ったらもういっぺんやってみたいと思うんです 岡部保平(おかべほへい)
・Vol.28 特集○岡山の棚田 <平成11年10月>
      棚田が社会を形成していたわけですね 生活と所得と 目瀬守男(めせもりお)
・Vol.29 特集○岡山の明治洋風建築 <平成12年6月>
      西洋建築の感覚を日本の伝統的な技法のなかにとりこんだんです 中力 昭(ちゅうりきあきら)
・Vol.30 特集○岡山の鏝絵 <平成13年3月>
      左官職人の施主さんに対する御礼です 赤松壽郎(あかまつひさお)
・Vol.31 特集○三蟠軽便鉄道を探る <平成13年8月>
      小さくてマッチ箱のような列車に客車があったんです 渡辺泰多(わたなべやすた)
・Vol.32 特集○文化誌『高梁川』を探る <平成15年3月>
      発刊の本旨を失わず薫り高い文化を考えました 横溝善章(よこみぞよしあき)
・Vol.33 特集○岡山の水琴窟 <平成16年4月>
      まずは聴いて楽しんでほしい その音をどう捉えるかは聴く人の耳です 竹原 實(たけはらみのる)
・Vol.34 特集○岡山の味噌 <平成16年8月>
      蔵ぐせは仕上がりの味や香りに 強い影響を与えるんです 吉田 喜代志(よしだきよし)
・Vol.35 特集○岡山の戦国時代を探る <平成16年12月>
      下克上という弱肉強食の戦国時代に 忠義をいっては生き残れません 松本 幸子(まつもとさちこ)
・Vol.36 特集○人見絹枝〜日本女子陸上初のメダリスト〜 <平成17年7月>
      もっと長生きしていたら 加速度的に女子スポーツが普及したでしょうね 豊田 啓介(とよたけいすけ)
・Vol.37 特集○岡山の貝塚 <平成17年10月>
      たかが貝塚とお思いの方もいますけど されど貝塚なんですよ 真壁 忠彦(まかべただひこ)
・Vol.38 特集○岡山の豆腐 <平成17年12月>
      多少値段が高くても安心と健康を考えた お豆腐が消費者に指示されると思います 野ア 信行(のざきのぶゆき)
・Vol.39 特集○岡山と奈良東大寺瓦 <平成18年5月>
      源平の戦いで焼失した東大寺瓦を ここ瀬戸町万富で造っていました 岡本 芳明(おかもとよしゆき)
・Vol.40 特集○岡山の特産物<野菜> <平成18年11月>
      自然条件に恵まれた岡山には 多種多様な品目があります 木村 祐一郎(きむらゆういちろう)
・Vol.41 特集○岡山の天文台 <平成19年3月>
      岡山が天体観測に適している理由は 晴天率の高さと安定した気流にあります 吉田 道利(よしだみちとし)
・Vol.42 特集○岡山の文学碑 <平成19年6月>
      文学碑はそれぞれの人の好みで景色を 楽しみながら訪ねるのがいちばんです 小出 公大(こいでこうだい)
・Vol.43 特集○岡山の室戸台風と浸水位標識 <平成19年10月>
      室戸台風で岡山市中心部は あっという間に浸水しました 光延 英夫(みつのぶふさお)
・Vol.44 特集○岡山の漬物 <平成19年12月>
      漬物には栄養分が豊富に含まれている ご飯があるかぎり漬物は絶対に不滅です 原渕 数夫(はらぶち かずお)
・Vol.45 特集○岡山の幕末のサムライ<其ノ一> <平成20年5月>
      志をもったサムライが幕末の 歴史を突き動かしました 佐藤 寛介(さとう ひろすけ)
・Vol.46 特集○岡山の幕末のサムライ<其ノ二> <平成20年6月>
      行動が観念的といわれようと 時代が変わったのは間違いない 加古 一朗(かこ いちろう)
・Vol.47 特集○岡山のダム <平成20年9月>
      移転を余儀なくされた人たちの おかげでいま水をいただいている 一藁 寛(いちわら ひろし)
・Vol.48 特集○文豪夏目漱石の岡山逗留地探訪 <平成20年12月>
      岡山逗留は約1ヵ月間 漱石数え年26歳のときでした 横山 俊之(よこやま としゆき)
・Vol.49 特集○「旭川さくらみち」の桜並木の変遷 <平成21年3月>
      先人が植えた桜を守り 後世に残していきたい 山本 利幸(やまもと としゆき)
・Vol.50 特集○竹久夢二16歳のふるさと紀行 <平成21年6月>
      多感な少年時代を過ごした 夢二の故郷を知ってほしい 内田 明生(うちだ あきお)
<創刊50号記念目録 創刊から18年間の軌跡>
・Vol.51 特集○山下りんのイコンとハリストス正教会 <平成21年9月>
       山下りんは生涯イコンの本道である模写しかしなかった それが岡山にある鈴木 道剛(すずき みちたか)
Vol.52 特集○岡山の藺草今昔 <平成22年1月>
       昭和39年の作付面積は全国第1位 岡山は「藺草王国」と呼ばれたんよ今吉 正行(いまよし まさゆき)


1998−2010 Copyright わたなべたかお


文頭へ
小さな橋の博物館トップページへ